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第24話

 東京タワーに行きたいと告げてから、話はすぐにまとまった。  吉澤とは、東京駅で待ち合わせをすることになった。十二月に入り、なんとか俺たちの予定が噛み合ったのは、その月の最初の日曜日のことだ。  周辺はクリスマスムード一色だった。  近ごろはやたらとスーパーで赤いブーツを見かけたり、鈴の音が聞こえてくると思っていたが、それもそのはずだ。ハロウィンが終わると商戦は一気にクリスマス一点張りになる。イルミネーションを匂わせる点灯前のストリングライトが、至るところにぐるぐると絡まっていた。  時期を選べばよかったか。周囲のきらびやかさに気後れしながらイヤホンを外し、改札外の人混みの中からようやく見つけ出した男の名前を呼ぶ。 「吉澤」 「あ。お疲れ、田所」  俺の部屋で見るラフな服装とはまた違う、どこかのスナップ写真から切り取ってきたような、洒落た雰囲気をまとった吉澤は、俺の顔を見るなり少しだけ疲れをのぞかせた。 「なにかあったのか」 「さっき俺に声をかけてきた人がいたんだけど、ちょっとしつこかったなあって」 「宗教勧誘か?」 「……ナンパ」  もうこの話はいいから、とコートを羽織り直して吉澤が歩き出す。出遅れた距離を大股で詰め、まるでそうすることを本能で求めていたように、吉澤の隣にぴたりと並んだ。  吉澤いわく、今日は目的の場所のほかに、どうしても前々から寄りたかった喫茶店があるんだという。昼前に集合したのはそのためだ。  待ち合わせに遅刻したわけではなかったが、もう少し早く来ておけば、とさっきから胸の奥がざわついてやまなかった。  目的の店は、待ち合わせの場所からほど近いらしい。吉澤に案内されながら、二人で歩き続けた。 「なあ。さっきの話の続きだが、俺から離れずにいれば今日一日は問題ないと思う」  吉澤が俺を一瞥し、思い直したようにまたすぐ前を向く。いったいいつから待っていたのか、その横顔は冷気に弄ばれて、いつもよりも白く見えた。 「どうして?」 「声をかけられたことがないから」  厄除けぐらいにはなるだろ、と冗談めかそうとした矢先、うそだあ、と上擦る吉澤の声が被さった。 「ほんとの、ほんとに? 田所が? まじで?」 「顔か雰囲気か、どっちが原因なのかはわからないが」  苦笑しながら、たどり着いた喫茶店のガラス窓に映る自分をちらりと見た。吉澤が持つ特有の柔らかさみたいなものを、俺はどうにも持ち合わせていない。  ひとりで生きることに慣れてしまった男が、ただ、そこにいる。 「躊躇いなく話しかけてくるのは、おまえぐらいだったな」 「……俺は、ほら、田所のそんなところがいいなって思ってたから。周りに左右されなくて、自分を持ってるところとか」  だから、話しかけずにいられなかったんだよ。  店はすでに満席だった。吉澤が率先して受付票に名前を書き、最後尾に並び直す。  どう時間を潰そうかと思考していると、前に立っていた吉澤が不意に振り返った。  不思議に思って首を傾ければ、吉澤はたちまち不機嫌そうに目を細めて顔を背ける。 「なんか、前にも気にしてるって言ってたし、アドバイスするべきかな、とか思ったけどやっぱりやめた」 「なんで」 「田所がたくさん話しかけられるようになると、困るから。多分俺が、一番困る。多分、だけど」  脈が速度をあげる。首元に巻いていたマフラーに鼻先をきつく埋める。意味のない咳払いをしたところで、喉に張りつくような甘ったるさは消えない。  困らせるな、と思う。冗談なんかで、俺を困らせないでくれ。 *  吉澤が行きたがっていた喫茶店の名物は、生クリームたっぷりのフルーツサンド、らしい。 「本当にそれで昼を済ますつもりなのか?」 「え、ダメ?」 「ダメじゃない。おまえが選んだことなら」  吉澤は、普段から甘いものだけで食事を済ませるときがあるんだという。俺の中ではスイーツはどちらかというと食後や間食のイメージが強く、食事の代わりになるものという認識は薄い。  さすがに俺は遠慮して、腹が満たせるようにオムライスとコーヒーを注文した。 「本当は俺、スリルを楽しみたくて食べてるのかもなあ」  店員に通された席は、天井から降り注ぐ暖房がよく効いていて暖かかった。店は常に満席状態で、誰かに干渉することもなく皆好き勝手に語り合っている。そんなぬるま湯のようなぬくもりに包まれながら、吉澤はずっと店内を観察している。 「甘党じゃないのか?」 「嫌いじゃないけど、大好きってほどでもなくて。でもほら、ちょっと悪いことしてる気分になるだろ、こういうの」  仕事以外で誰かに怒られることも、もう、ないのにな。  ひとりごとのような吉澤のつぶやきが、お菓子のような甘い匂いの中に溶けていく。俺たちのすぐ近くを、入店したばかりの男女が、手を繋いで通りすぎていった。 「でも、付き合わせてごめんな。次があるなら、そのときは田所の好きな……」 「吉澤」  堪えきれなかった。吉澤の言葉をたまらず遮ってしまった。驚きと警戒心が滲む顔を前にして、俺もまた冷静さを欠いている。 「仮定の話なんていい。次なんていくらでもあるだろ、俺たちには」  吉澤が次を願うなら、俺はその全てを叶えてやりたいとすら思っている。なのにどうしていつまでもおまえは、安全地帯からぬくぬくと、こちらの様子をうかがっているんだろうか。 「……ごめん。そう、だよな。いくらでも時間はある、けどさ。うん。また、行こう」  それから吉澤はスマホをいじり始め、俺は無関心を装ってメニューを眺める。その間にも、水の入った吉澤のグラスが空になり、俺が気づくよりも先に店員が注ぎにきたことだけは覚えている。  待ちわびた料理が来る。念願だと言っていたフルーツサンドを見て、吉澤は喜んだ。それが本心かどうかなんて、今の俺には到底判断できない。  吉澤のことが、わからない。  とろりと溶けた半熟のオムレツとケチャップライスを絡めて、淡々と口に運んでいると、ふと吉澤から「食べる?」と聞かれた。進んでフルーツサンドを食べたいとは思わなかったが、吉澤を無視する理由も見当たらない。  雪山みたいな三角のてっぺんを目がけ、吉澤の顔から目をそらすことなく口を開く。半ばヤケになりながら、やわらかなそこにきつく歯を立てた。  丸い瞳がゆらゆらと揺れている。口に入りきらなかった生クリームがサンドイッチの隙間からあふれ、吉澤の指にどろりと落ちていく。  短く息を飲んだのは、吉澤のほうだった。口内にじわじわと広がるいちごの味は、あまりに酸味が強い。  口角に残ったクリームを親指で拭う最中、吉澤がふっと自嘲した。 「……声をかけないなんて、もったいないのにな」  まるで自分に言い聞かせるように呟いて、吉澤は手についたクリームへ唇を寄せた。

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