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第37話
同棲の話は、吉澤が再び大阪に戻ってから割とすぐに持ち上がった。
「会えないなら、せめて田所の未来がほしい」
そう吉澤に懇願され、俺はひとつ返事で与えることにした。
それからは吉澤の判断力の高さを目の当たりにする日々だった。毎日のように、物件の候補先が吉澤から送られてくる。互いにいいと思えるものが見つかれば、すぐにリモートを利用しての内覧予約を入れた。
多忙な日々の隙間で行われる家探しに、疲れを感じなかったと言ったら嘘になる。しかし、俺との未来を選び取ろうとする吉澤がいるだけで例えようのないくすぐったさを覚え、どれだけ疲れていても吉澤から送られたもの全てに目を通した。
週末になれば、現地にいる不動産会社の担当が撮影した物件の間取りを、リアルタイムで眺める。
吉澤が落ち着きのある声色で、質問を重ねていく。かつて聞いた校内放送の淡い記憶をたぐり寄せながら、吉澤の声に俺は耳を傾け続けた。
ひと足先に俺が引越しを終えたのが、今から約一ヶ月前。吉澤に至っては、有給を使って昨日大阪から荷物とともにやって来たばかりだ。
荷解きも完璧ではない中、今日のあいさつ周りを決行する吉澤の実直さには本当に舌を巻く。
「……なあ。髪、乾かしてやりたいんだが」
濡れてるだろ、まだ、こんなに。
すぐそばにある、吉澤の髪をかき分ける。シャワーを浴びてタオルドライは施してあるものの、まだそこは必要以上の水分を含んで重たげだ。
返事はない。ソファーに座る俺の膝の上に乗っかって、壊れた人形のようにキスを繰り返す。
さすがに昨日の今日で疲れたか、と心配する俺を他所にしばらくして「嫌だ」と吉澤はあどけなく駄々をこねた。
「髪乾かすなんて、後からできるって」
二人の住処に帰宅して、吉澤が作ってくれたカレーを食べて、シャワーを浴びて。
明日は休みだ、とひと息ついたらこれだった。引力が働いたように、吉澤はもうずっと俺から離れない。
「変な癖がついても知らないぞ」
「それこそ後から直せばいいじゃん」
「風邪をひくだろ」
「あ、そっか。それいいな。風邪ひいたら、田所が看病してくれるんだろ? 有給、余りすぎて困ってるし、ちょうどいい」
そんなふうに押し問答を繰り返すこと、数回。諦めろ、とでも言いたげに吉澤が頬に、こめかみに、そして唇にキスをしては再びきつく抱きしめてくる。そして長く、深く、ため息をついた。
「……めちゃくちゃ幸せだ」
胸が絞られたように痛んで、呼吸の仕方を失念した。
肩の力の抜き方も知らず、自分を上手に曝け出すこともできない。人の輪の中を選べる度量がありながら、誰よりも甘え下手で、甘えたがり。
こんなにも世渡りに向かない生き物が、今俺の腕の中で存在していること自体、奇跡のような気がしてくる。
いや、この一瞬を奇跡なんていう陳腐な言葉で言い表したくない。
傷ついて、苦しんで、それでも吉澤が欲しくて、黙ることをやめた。自分の手で掴み取った、現実だ。
ただ不自由なこの世の中で、吉澤の心がぽきりと折れてしまわなくてよかった、と。間に合ってよかった、と強く思う。
濡れた髪に鼻を埋めると、俺とおなじシャンプーの香りがふわりと香る。顔をすり寄せる。くすぐったい、と吉澤が身を捩った。
火花が飛び散るように、吉澤と目が合う。吉澤の指先が自分の唇から俺の唇へと移動する。背骨の上を、渦巻く欲がぞくりと這いずった。
「……なあ、キスして」
甘くねだられる。自分が一人の人間である前に、一人の男であることを痛感する。恋人にここまではっきりと求められて、断れるほどの豪胆さは俺にはない。
吉澤の顎を掴み寄せた。性急に唇を割り、口内をぬめる先端でさらう。時折漏れる吉澤の呻き声はハスキーなのにどこか色っぽく、このふしだらさに陥落するばかりだ。
「っん……そこ……」
吉澤の体をソファーの上に横たえる。
服をたくし上げ、露出した吉澤の胸の小さな突起を指で摘まむ。何度か指で擦り合わせるだけで、確かな芯が芽生えた。飽き足らずに今度は舌でこりこりと刺激を加えると、濡れた息の間隔が徐々に短くなっていく。
「田所……きもち、い……」
久しぶりに浴びる、吉澤の濃密な匂い。程よく引き締まった腰つきも、狂おしいほどにとろけていく顔も、なにもかもが愛おしい。
互いに腰が揺れる。疼き続ける下腹部を露骨に押しつけると、くすくすと笑う気配があった。
「俺は昨日からずっと我慢してたよ」
吉澤が俺を抱き寄せた。ぴたりと身を寄せつつ、吉澤が膝でこちらの膨らみを、ぐりと刺激する。その間にも細長い指先が俺の髪の隙間に侵入して、何度となく撫でられた。
官能的な仕草の数々に軽率につられ、胸が高鳴るばかりだ。際限なく膨れあがる欲に身の危険すら感じて、わずかに体の距離を置く。
「昨日は仕方がなかった……引っ越しの作業で疲れてただろ、おまえも」
「じゃあ、浮かれてたのは俺だけってこと?」
「いや、それは」
「準備、頑張ったんだけど。あっちにいる間に」
準備って。どれもが空振りに終わりそうな言葉を全部飲みこんで、じっと吉澤を見下ろす。
吉澤の視線が自身の下半身に注がれた。明け透けな表明をされてわからないほど、鈍くはなれない。
「……ひとりで?」
喉から零れ落ちた音は、情けなくも震えている。
自分を見失いそうだった。閉じていたはずの蓋が勢いよく外されて、腹の奥底へ劣情が怒涛のように流れこんでくるのに、心のどこかでは孤独な作業を強いてしまったことに痛烈な苦味を覚えている。
「田所は嫌がるだろうなって思ったよ。昔からずっと、責任感の強い奴だから」
でも、許して。
体を起こし、吉澤が俺に触れるだけのキスをする。
「好きだから、もうずっと浮かれてるんだよ。俺が少しでも早く、おまえとこうなりたかっただけなんだ」
その告白は、俺を都合よくほだしていくのに最適だった。
浮かれるなんて、生ぬるい。
俺は完全に、こいつに溺れている。
強引に口を塞ぎ、吉澤の下着をスウェットともに剥いでいく。あまりの抵抗のなさに、吉澤の覚悟を感じずにはいられなかった。
「……ふ、っあ」
吉澤に呼応して脈打つそこは、すでに熱を先走らせている。輪にした手で上下に愛撫を加えると、吉澤はなす術なく崩れ落ち、ソファーに影を生み出した。
「あ、っん、ん……も、う……」
果てる寸前、吉澤が死にそうなほど長く呼吸を止めた。硬直と弛緩を繰り返しながら、俺の手の中に白濁した体液を吐き捨てていく。
全てを出し切ると、くったりと長い手足を投げ出して、吉澤は短い呼吸を繰り返した。
だらしなく開かれた口元を見ていると、後悔の念が育っていく。なのにそれを遥かに勝る勢いで湧き上がるのは、破壊願望にも似た欲求だった。
「……た、どころ……っ」
閉じていた吉澤のまぶたが、慌てたように持ち上がる。
茂みに妖しく付着したとろみを指に絡ませながら、吉澤の足を素早く押し広げ、窄みの輪郭をためらいがちになぞった。
ただ、なぞるだけ。何度も何度も念じながら、赤みのある縁に指を這わす。
ああ、でも。ここに、俺は。
誘惑に堕ちる。
指先をわずかに埋めた途端、ひくりと内壁が蠢いた。思いがけない反応に全身がすくみ上がり、指を抜き去ると腹の底まで届くような重音を心臓が奏でた。
「……ばか。なんで抜いたんだよ」
吉澤が俺を見つめてくる。まるで自分が自分でなくなっていくような心許なさを吉澤の瞳の奥に垣間見ながらも、いつまでも逸らされることがない視線に焼かれ、理性が事切れていく。
「田所……しよう」
ベッド、いこ。
そのひとことで、迷いが消滅してしまうのはあまりに単純すぎるだろうか。
唇を重ね、指を絡ませる。
怖くてもいい。その怖さを抱えながら二人で夜毎、幾度となく乗り越えていけばいい。
きっといつか、忘れてしまえる。
*
寝室に移り、お互いに服を脱がせあった。
冬の静謐な空気が素肌に触れ、体の異常な火照りをあざ笑う。ベッドの上で四つん這いになった吉澤を視界に入れながら、傍に置いてあったローションを自分の指と、均整のとれた吉澤の臀部の境目にどろりと落とす。
「……っ」
吉澤が息を詰めた。
堪えきれなかったローションが、吉澤の太ももを伝って滑り落ちる。劣情すら湧き起こる艶めかしい光景に、居ても立っても居られなくなる。
「……痛かったら言え」
吉澤がうなづくまで、わずかな間があった。吉澤の頭をそっと撫でると、どこか張り詰めていた呼吸が、少しずつゆるやかに喉の奥で解けていくのがわかった。
大丈夫だから。その言葉を合図に、てらてらと光る自分の指を後孔の中へ潜らせる。
慎重に指の関節を沈めた。あ、と吉澤が甘やかに放つ。及び腰になる体を抱き寄せ、徐々に指をスライドさせていく。
「本当に、一人でここまで?」
圧迫感は確かにあるが、指一本で限界というわけでもなさそうだ。内壁のひだを指でこすりながら話しかけると、吉澤は背骨を柳のようにしならせた。
「っはは、疑ってる?」
「違う。そうじゃない。ただ、もう二度と俺を置き去りしてほしくない」
素直に吐露してしまえば、心は案外軽いままだった。指を下で咥えたありえない状況の中で、吉澤が楽しげに笑っている。それすらも、俺を軽くする要因かもしれない。
「案外、田所ってかわいいこと言うよな」
「かわいくはないだろ」
「かわいいよ、すごく」
「そこはかっこいいにしてくれ」
「うん、かっこいい……ずっと、憧れてた」
本音を預けるようになってきたかと思えば、体を征服されながらも平然と俺を煽ってくる。皆が吉澤を中心に置きたがる理由を、まざまざと見せつけられているようだ。
「……ん、っ」
「痛むのか?」
時間をかけて指の数を増やしていけば、吉澤の声が明らかに肺を押し潰したような息苦しさを含むようになった。
体にふつふつと浮かぶのは脂汗なのかもしれない。しかし吉澤は、いやだ、やめるな、と首を横に振り続けるばかりだった。
痛みの奥に眠っているはずの快感を探るように吉澤が声にならない声をあげ、せめてもの償いで、背中の上に佇む汗粒を舌ですくった。
加減なくローションを注ぎ足していく。吉澤の背後も俺の手もベタついて、気に留めたときにはもう酷い有様だった。
「……んっ、ん……!」
抜き差しする指の動きにあわせて、内側がまた一段ときつく吸いついてくる。
求められているような錯覚が俺を襲う。ぐっと腹に力をこめ、噴出寸前の熱をあしらいながら、奥まった箇所を暴いていく。
「……も、いいから、っ」
背中に這わせていた唇が、焦れたような声の振動を受け止めた。三本の指は吉澤の中で引っかかりを覚えなくなっている。
ずるりと指を抜けば吉澤の体が素直に震えて、征服欲にも似た喜びが爆ぜた。
「……早く」
乞い願いながら、吉澤が振り返った。
久しぶりに顔を見る。生理的なものなのか、涙の乾いた跡がある。
「早くしないと、俺の気が変わるかも」
「気が変わったなら、しない」
「……嘘、やめるなよ。なあ、欲しがってよ。いいから」
呼吸を奪うようなキスを仕掛けられ、急速に世界が閉じていく。
吉澤のことしか考えられなくなる。首に回された腕の重み。絡まる舌の温度。みっともなく擦れあう腰。俺の五感の全てが吉澤に向かっていく。
そそり立つ竿にゴムをつけ、組み敷いた吉澤の窪みへ、濡れた脚を持ち上げながらも予告なく先端を押し当てる。
「ゆっくり、するから……」
「ふっ、……う……」
割れ目を押し広げながら、昂ぶりを挿入した。侵入者である俺を窄みがたちまちきつく締めあげ、わずか奥を目指すだけでこちらを押し返すような動きをしてみせた。
「力、抜けるか」
吉澤がこくこくと力なくうなずいた。切羽詰まった呼吸を二人で繰り返す。
夜に深く沈んでいくように、ゆっくりと腰を落とす。
わずかな間違いすら許されないような緊張感が、いつしか部屋に満ちていた。昔の自分ならとっくに怖気づいて、この環境からしっぽを巻いて逃げ出していただろうに、今は極度の緊張を飼い慣らすこの時間でさえ手放せない。
「……入っ、た。全部。」
健気に耐え続けた吉澤の体をようやく抱きしめると、腕の中がすぐさまぴくりと動く。それから恨みがましそうに、ばか、と小さく罵られた。
「弱いんだってば、耳」
そう言うくせに、俺を突き放すことはない。
いじらしい恋人の弱点にかぶりつくと、猛りを包み込む吉澤の環がより一層狭く、そして吸いついてきた。
腰を打ちつける。浅い場所でゆるく抜き差しを繰り返すと、吉澤の吐息が次第に糖度を上げていく。
苦しくないはずはないのに、吉澤が俺を包むように抱きしめた。この前の夜にあった慎重さや探り合いは形を変えて、今は心地のいい一体感へと変わっていく。
「あ……っあ……」
指で扱くときとはまた違う、吉澤を丸ごと手に入れたような感覚が、俺への刺激を何倍にも増幅させる。
物足りずに、奥を穿つ。時折いい場所に当たるのか、ベッドの上で徐々に乱れていく吉澤の色っぽい姿に息を詰めた。相手を追いつめているようで、本当に追いつめられているのは自分のほうだろう。
止められない。ただただ放出するために、腰を執拗にぶつけることしかできない。
「た、どこ……キス、……っ」
その声は、どこまでも切ない。
体を差し出しながら願うにはあまりにも慎ましく、捧げたキスはひどく余裕がなかった。
もっと、もっと。
吉澤の赤く染まった舌先が追いかけてくる。吉澤の手を握りしめながら、上も下も執拗に攻めたてていく。
「好きだ……おまえのことが好きだ……っ」
唾液を飲みこむことさえ忘れ、口の隙間からとろりとこぼれ落ちる。
好きだ。たまらなく。どうしてもおまえがよかったんだ。
孤独に降り積もった想いが限界を超えてあふれていく。満たされるのは口にしたその一瞬だけで、根の乾かぬうちにまた言葉を繋いだ。
吉澤の頭がいつまでも上下にかくかくと揺れている。聞いていないかもしれない。それでも「好きだ」と告げるたびに、吉澤の中が悦ぶように狭くなる。
揺れるだけだった吉澤の竿を握って扱いてやれば、たちまち内壁が大きく痙攣し、快楽の波間に放り出されそうになるのを懸命に堪える。
「あ、あ、っん、ん……!」
何度目になるかもわからない想いを唱えるころ、吉澤の体がぶるりと震え、濁りを腹部に解き放つ。
後を追うように、律動を速めた。
果てた直後の敏感な吉澤を、きつく抱きすくめる。
田所。田所。汗に湿った四肢が、不意に縋りついてきた。泣き啜っているようにも思える声が何度だって俺の名前を呼び、この前の夜とは違う安堵をもたらしてくれる。
息も絶え絶えになりながら、酸素の回らない体でひたすら素早く穿つ。
「……俺も……イ、く……っ」
爆ぜる寸前、好きだ、好きだ、と喘ぎ混じりに泣きつかれ、これからの夜の長さに頭が白濁するほど酔いしれた。
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