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第5話
車を近くの駐車場に止め、総一郎さまたちが集まる居酒屋を目指して、俺は通行人があふれる歩道をひた走る。
あれから隣のカフェで例の小説をさっそく読み始めたのだが、気が付くとお迎えに向かわなければならない時間を過ぎていた。小説が面白すぎて熱中してしまったのだ。
あの本はひとつの愛の物語としても感動的でとてもおもしろかったが、なによりも衝撃的だったのはやはりセックスシーンだ。
小説の中では、黒髪の細身の少年が『ウケ』で、がっちりした青年が『タチだった。つまりはタチの青年のあそこをウケの青年のあそこにいれてセックスをしていたのだが、俺が度肝を抜かれたのが、ウケの青年の口から出てくる言葉だった。
彼はセックスが始まってから終わるまでの間、何回『あっ』『あん』、もしくはそれに類似する喘ぎ声をその唇から漏らしたのだろうか。数えてみた。その数は二十回余り。
彼は類まれな色気とバリエーションに富むいろんな種類の喘ぎ声を駆使し、タチの青年を極楽へといざなっていたのだ。
俺はまたまた天啓を得た。
――――もしかしたら、この小説の中の青年のようにすばらしい喘ぎ声を奏でることができたら、総一郎さまも俺に興奮してくれるのではないか?
おそらく初心者にできる技ではないだろう。だが試してみる価値はあるかもしれない。そう思うとがぜんやる気が出てきた。
足取りも軽く居酒屋の前につくと飲み会は解散したあとのようで、四十人ほどの大学生らしき集団が店の前でたむろしていた。その中に背が高く素晴らしい立ち姿の青年が見える。総一郎さまだ。
やっぱり総一郎さまはかっこいいし目立つなあ。なんてニヤニヤしながら彼に近づこうとした俺だが、はたと足を止めた。
彼は4人の華やかで綺麗な女の子たちに囲まれていたのだ。いつも大学に迎えに行くと男女入り混じったグループとよく一緒にいるのだが、今日はそのメンバーとは一緒ではないらしい。
取り巻いていた女の子の一人が甲高い声を上げた。
「え~! もう西園寺くん帰っちゃうの? やだぁ、もっと一緒に飲みたい〜」
彼女はそう言うなり、総一郎さまの腕に自分の白く細い腕を絡めた。
「あっ! ちょっとアンタ! 何どさくさに紛れて西園寺くんに触ってんのよ!!」
「はあぁ? アンタだって飲み会中、西園寺くんにしなだれかかってたじゃん! ねぇ西園寺くん〜、二次会行こうよぉ」
総一郎さまがモテることは知っていたが、これほどまでだとは。
俺は唇を噛み締めて視線を下げた。正直に言えば、『総一郎さまに触るな!』と突撃したい。でも使用人の分際でそんなことできるわけがないのだ。はあと大きなため息を出てしまう。
「おい、大丈夫か?」
そのときふいに横から声をかけられた。顔を上げると、そこには見上げるほど背の高い男の人が立っていた。二メートルはありそうな立派な体躯の上には、驚くほどに綺麗な顔が乗っている。なんとなくその顔には見覚えがあった。よく大学で一緒にいるグループのうちの一人だ。
「お前、木島さん……だっけか? 西園寺のところの人だろ。どうした? 気分でも悪い?」
「え?」
いきなり名前を言い当てられて驚いた。だがすぐに我に返って背筋を伸ばす。
「総一郎さまのご友人でしょうか? いつも大変お世話になっております。あの、気分悪いとかではないのでどうかお気になさらず」
「はは、俺にまでそんな畏まった敬語じゃなくていいぜ。俺は西園寺と同じ学部で|鴫野《しぎの》って言うんだ」
「鴫野さんですね。よろしくお願いします!」
ぺこりと礼をすると、鴫野さんは総一郎さまの方を指さして首を傾けた。
「西園寺の迎え? あいつならあそこにいるぜ」
「ああ、はい。そう、なんですけど……」
俺もそっちに視線を向ける。まだ総一郎さまは女の子に囲まれて取り合いをされている最中だ。
「お前が呼べばすっ飛んでくんじゃねえの?」
「え?」
どういう意味だろうと鴫野さんを見上げると、彼はゆっくり腰をかがめて俺を覗き込んできた。モデルのようにきれいな顔が近づいてきて、その気はないのだがついドキドキしてしまう。
「お前と西園寺、付き合ってんだろ?」
小声で告げられた言葉に俺は仰け反ってしまった。
「な……な……なんで!?」
「なんで知ってるかって? そりゃ俺たち親友だもん。西園寺から相談があったんだよ。男同士どう付き合ったらいいかってな。ほら、俺ってば経験豊富ってやつだからよ」
にっと自信満々に笑う鴫野さんの顔をおもわず凝視してしまった。総一郎さまが俺との関係をご友人に打ち明けていたということにも驚きだったけど、もっと驚いたのは男同士の付き合い方を相談していたということだ。
「あの、それって――」
と俺が言いかけたとき、「和希!」という大声とともに腕を後ろに引かれた。驚いて振り返ると、総一郎さまが不機嫌な顔で立っている。
きっと俺の迎えが遅れてしまったから怒っているのだろう。慌てて謝罪の言葉を口にした。
「遅くなってすみませんでした」
「……」
だが総一郎さまは無言で、そのまま俺の腕を強く引き歩き出した。
「えっ? あ、あの……」
戸惑って鴫野さんの方を見ると、さすがに彼も眉を上げて驚いている。俺は挨拶をしようと口を開きかけたがどんどん総一郎さまに引きずられ、慌てている間に鴫野さんは人込みに紛れて見えなくなってしまった。
会話の途中だったというのに、無理矢理引き剥がすような真似を総一郎さまがしたというのが信じられない。
「ちょっと! 総一郎さま!」
人混みから離れたところで握られた手を引くと、総一郎さまはやっと立ち止まった。くるりとこちらに向き直った顔は、やはり不機嫌だ。
「いきなり引っ張ったりして一体どうしたんですか? 俺、鴫野さんとお話してたところなんですよ?」
俺がそう言うと、総一郎さまが眉を顰めた。
「あんなに顔を近づけて、何を話していたんだ」
「……え?」
俺はぽかんと口を開けて総一郎さまの顔を見る。彼は苦虫を潰したような顔で続けた。
「ちょっと距離が近くないか? 相手が鴫野だったからまだいいが、他の人だったら勘違いしてしまうぞ。君に気がある男だったらどうするんだ」
俺に気がある男? そんな人いるわけがない。……というかそんなことをいうなら自分はどうなんだ。総一郎さまだって、さっきあんなに女の子たちに身体を触らせていたじゃないか!
そう思ったらだんだん腹が立ってきた。
「総一郎さまだって」
「俺が何だって?」
「総一郎さまだって女の子と話してたじゃないですか。俺のことなんて目に入らないくらいに楽しかったんでしょう? 腕なんか組んじゃって」
もやもやと胸の中に溜まっていた憤りをすべて言葉に換えてしまってから、俺ははっと口を噤んだ。しまった、言い過ぎてしまった。怒らせてしまっただろうか……とそろりと総一郎さまの方を伺うと、不機嫌だった顔がなぜだかだんだん綻んでいく。
「そうか、君も嫉妬してくれたんだな」
「し……嫉妬!? え、ち、違います俺はそんな……!」
必死に否定するも、総一郎さまは俺の話なんて聞いていない。
「そうかそうか。俺も鴫野に嫉妬をしてしまったが、どっちもどっちというやつだな!」
ははは! と機嫌よく笑いながら、総一郎さまが俺の手を引っ張った。そして身体を寄せて、耳もとでささやく。
「和希は可愛いな」
「なっ……!」
俺はがばっと耳を抑えて身体を離した。そんな俺を楽しそうに笑いながら、つないだ手はそのままに総一郎さまはぐんぐん歩き出す。
「なあ和希、もし君さえよかったら、どこかに泊まっていかないか? ほら、家の中だといろいろ窮屈だろう? たまには外泊もいいんじゃないかと思うんだが」
えっと思わず総一郎さまの横顔を見上げる。よく見ると彼の耳はうっすら朱に染まっていた。
外泊、というのはいわゆるそういうお誘いなのだろう。総一郎さまも俺とセックスをしたいと思ってくれているのだ。嬉しさと恥ずかしさでこちらのほうまで頬が熱くなってくる。
でもーーーー。
このままセックスに至ったとして、本当にうまくいくだろうか。だって今の俺には、総一郎さまを極楽へ連れていくようなテクニックがなにもない。覚悟も身体の準備もだ。このまま抱き合って、本当に総一郎さまを満足させてあげられるだろうか。
逡巡で一瞬返事が遅れた。総一郎さまが足を止め、こちらを見て苦笑する。
「嫌なら断ってくれてもいいんだ」
「違います! 嫌なんかじゃない! ……んですけど、俺……」
もし自分とのセックスが気持ちよくないと思われてしまったら。女の子の方がいいなんて思われでもしたら。きっと俺は立ち直れないだろう。
「すみません。少しだけ……少しだけ待ってもらえませんか?」
恐る恐る見上げると、総一郎さまは眉を下げてやさしく微笑んだ。
「もちろんだ。こういうことは急ぐことじゃない。ゆっくり進んで行こう」
「……はい」
優しく繋いだ手を握り返してもらって、愛しさで胸がぎゅっと締め付けられる。
本当に総一郎さまは優しい。彼のことが大好きだ。総一郎さまが望むことすべてをかなえてあげたい。
心の中でゆっくりと覚悟が固まっていく。
大好きな総一郎さまを喜ばせることができるなら、俺はウケでもなんでもいい。どんなことだって出来る。
次に訪れる機会までには絶対に、自分の身体と心を整えよう。俺はそう心に誓った。
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