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 おそらく、比呂に出会う前の。  そして、触れ合い、好き合い、愛し合う前の『桐生 隼人』なら、絶対に見せない動作だった。  隼人は笑顔で自然に、ぬいぐるみの横に立つと、そのまま肩を並べて床に腰を下ろしたのだ。  テディベアの丸い目は、比呂の円らな瞳を思わせる。  にこっ、と隼人は良い顔を向けてベアと肩を組み、ポケットからスマホを取り出した。  そして、自分とぬいぐるみに向けて、かざした。 「はい、撮るよ。1+1は?」  2、と言いながら、シャッターを切る、隼人だ。 「きれいに、撮れたかなぁ?」  まるで、比呂と一緒にいるかのように、隼人は画面をのぞき込んだ。  クマのぬいぐるみに、命が吹き込まれた瞬間だった。  そこで、急にドアが開いた。 「時間です。お疲れさまでした」  スタッフが、オーディション終了を告げたのだ。 「え? あ、はい」  そうだった、と隼人は我に返った。 (これは、オーディションだった。忘れてた!)  奇行に走ってしまったな、と頬が赤くなったが、済んでしまったものは仕方がない。  解放された隼人は、さっそく比呂に画像を送った。 『比呂くん、見て! 素敵な友達と、写真を撮ったよ!』  ひとりでに、笑みがこぼれてくる。  そしてやはり、比呂からの返信は早かった。 『すごい! 可愛い! いいなぁ、隼人さん。今度、僕にも紹介して!』  今度のオフに比呂くんと、テディベアミュージアムへ行こう。  そう決めた隼人の足取りは、軽かった。  背中は、しゃんと伸びていた。

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