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第16.5話

 ただの狢で在った頃から、人とは絶望を与える生き物だと思っていたから期待をしたことはなかった。  ダンくんをそれらとは違うと決めたのも最終的には彼が人を嫌って妖になったからだと思っていた。  だから正直、しゆに対してなんの期待もしていなかった。  というよりしゆと出逢った頃にはオレは期待にせよ絶望にせよ人の子風情に感情を動かされるのが不愉快に感じるようになっていて、嘘にならないだけの感情でいようと決めていた。  そもそもオレを好きだと言い出した時点で、侮られたのだと思った。  まあ人の子が妖を前に生き延びようとしたり、懐に入り込んで首を刎ねようと目論んだりと、そういうことは珍しくはないのでその類かと思った。  だってあいつの目の前で澱をやっつけたのはダンくんであり、呪いを解いたのも遊羅だったから。    でも、しゆは。  なんとも不可思議で不可解だった。    一線を引くのだ、オレには。  いつだって緊張と安堵の混じった気配を纏わせながらオレの傍にいた。  オレを不快にさせないように、感情が大きく揺れ動く場所を見極めるように。  それも最初はダンくんや遊羅に恩義を感じていて、特に遊羅の力の強さに恐怖しているのかと思っていたがしゆは『オレに危害が及ぶのは本意ではない』と言った。  遊羅が怖いと思っているのも否定せずに。    人の子や妖に関わらず、ほとんどの者はオレではなくオレの後ろ盾となっている遊羅を恐れる。そうでないなら祓い屋であったダンくんを。  しゆはなにかと遊羅のことを気にかけていたが、遊羅を怒らせまいとしているのも、オレの機嫌を損ねまいとするのも、社へ足しげく通う理由も。  話を聞くたびにオレと逢えなくなるのを一番嫌がっているのだと理解する。    それでもオレは、しゆがどうしてオレを好きだと言うのかはわからなかった。    一緒にいる内になんとなく、しゆは人の世で生きていくのが決して上手くないのだと感じるようになった。  妖の世界から帰れなくなることを恐れないし、遊羅と肩を並べるほどの力を持ったアイキさんに突っかかっていくし。  友達ができたと報告してきた時も、平然と「相手の言葉や相手自身を捨てるのは信用に値しなくなってからでもいいよ」と言い切った。  しゆはいつだって、自分以外の他者との縁など簡単に切れる。切ってしまうことが一番楽だと知っている。だから基本的には執心しない。その気配を見せない。そりゃあ、ないものはないんだからそうなのかもしれないが。  その対象が親であっても、友人であっても、恐らくオレたちのような人でないものであってもだからオレたちの目からも人の子として異端として映る。  まあそんな性格が悪いところをアイキさんは「人の子らしい」と評したが、その部分だけだ。あれは彼だからしゆに言ってのけることが出来た。    そんな風に、しゆはそういう男なのだと知ると同時に理解できない。と感じるたびに。  少しずつ不愉快に思うようになって、いつかオレを好きだとくり返すのと同じ口から侮られていたんだと言われたくなくて助けたのはオレでないと言ったら   「今も朧が好きでいることに理由が必要?」    とか苛立った口振りで返してくるもんだから、それこそ腹が立ったわけだが。  その後、オレの機嫌を損ねたのと祓い屋を連れてきたことで二度遊羅に追い払われていたがそれでもしゆは懲りずにオレに逢いに来た。  しゆならいつだって、誰とも縁を切れるだろうに。  誰にも執心しない男がオレにだけそれを向ける。最初に覚えたのは恐怖だったが、その恐怖も一瞬にして消えた。   「例え想いが勝っていたとしても妖の理不尽な力を破れるとは思えない」    遊羅に、記憶を消されてもオレを好きだと言い続けられるのかと聞かれてしゆがそう答えたからだ。  しゆは自分にはなんの力もないことを知っていた。  呪いや遊羅の力があって妖が視えているだけで、それがなければなにも敵わぬと。  視える人の子は夢物語を語り、己の為に妖を騙し嘲る傲慢な生き物だと思っていた。でもしゆは違う。  オレを好きだからたった一本の糸にしがみ付いているだけと己の情けなさを笑ったから。  恐怖は消え、許そうと。  そこに深く隠している感情は本当はなにを考えているのかを知りたくなった。その為に疑うことをやめたいと思った。    オレがそうだと告げたのがきっかけとなったのか、しゆの中でも変化があったのがわかった。    道理を外れるということがどういうことかを真面目に聞いてきたり、抱き締めたいと言ってきたり。  いつの頃からか、しゆの目にも見えていたんだろう一線を少しずつ縮めようとしていた。  だからなのかもしれない、以前よりずっとしゆの、しゆ本人も望まぬところにある気持ちを聞いてしまった時や。  しゆが自分の感情に蓋をしようとしたり、卑下をするたびにどうしようもなく腹が立った。    それがオレがしゆのことを、知ろうとしなかったからだとか。  知りたいと心が揺さぶられたからとか。  その理由が、しゆがオレを好いていて大事に想ってくれているからだとか。  どれもこれも、答えでありそうで。でもしっくりこなかった。    そう、でもどれもが違うと感じたのはあの雪の話をした日だ。  あの時のしゆの表情や、零した言葉が妙に引っ掛かった。   「そう、凍てつく体と同時に心も凍っていくんだよな」    オレがまだ狢で在った頃と同程度にしか生きていないような幼い人の子に、死が目前にまで近付いてくる恐怖も絶望も理解できるはずがない。  でもしゆは、経験にないことを口に出したりも同調して同情したりもしない。  だからそれがしゆが種類は違えど、体感したことがあるのだろう。肉体ではない、心の死。  しゆのような幼い人の子が、そこまで心を冷たくして己を護ろうとすることって一体なんなのだろうと思った。  以前、アイキさんに突っかかって行ったのを見た時と似た違和感、そして不信感、不安がオレを襲う。    そんな話をダンくんにしたんだ。人の子であった彼ならなにか理解できるものがあったんじゃないかと思って。  でも彼はオレの話をうんうんと聞くだけで、時折零す言葉と言えば「なるほどなぁ」だった。  こちらの話を茶化すような類ではないが不審に思って「聞いてるのか」と聞いたら何故か肩を竦められた。   「要領を得ない」    オレは元来、ダンくんのように快活な性質じゃない。だからぐちぐちと零してしまったのは申し訳ないが、それに判然と言い返されると返す言葉を失くす。  思いがけず苛立ち、それを隠さず露わにしたが彼は怒るどころか「あっはは!」と笑って、ぽんぽんとオレの肩を叩いた。   「それをオレに言って、朧が感じてるものはなんなんだ?」    オレは、ダンくんがなにを思ったかを知りたいと聞いたはずなのに答えをもらえぬどころか問い返されて疑問符が浮かんだが、一応考える。   「わからない。ただなんか、しゆが落とす影に嫌な感じがして。落ち着かない」 「不愉快ってことか?」 「不愉快と言えばそう。でもなんか……その言葉はしっくりこない。嵐が近付く前の夜や、地が揺れる前に似ている」    わからないなりに、なんとか言葉に出来そうなものだけを口にするとダンくんがまた「なるほどなぁ」と零すので眉を潜め睨み付けたが効力はない。   「朧がそうだって零すなら、嵐や地震の前兆なんじゃねえの?」 「しゆは天災じゃないでしょ……」 「だから、朧の本能がなにか危険を察知してるってことだろ。経験則から朧はなにかしらの変化を感じ取ってる」 「それがなにかを知りたいって話をしてるのに」    言っていることは理解できるが、納得ができないと首を振るとダンくんは小さく息を吐きオレの胸板を指先で軽く小突く。   「ならしゆの存在が不快だって話だろ」    低い声で吐き捨てられた言葉に、頷くことも首を振ることも出来ずに固まっているとそんなオレを見てダンくんがふっ、と表情を和らげた。   「オレが朧の感情に答えを出したって、納得できねえだろうが」 「ぐ……」    正論を叩き付けられて、悔しさが募る。否、それでもしゆと出逢った頃のオレだったらそれでもいいかと頷いていたかもしれない。  だからこそ、この変化がいいことなのかそうでないのかの判断ができない。そもそもそれが納得できないって話なのに。  なんてぐるぐると考え込んでいると、ダンくんは小さな声で「いいんじゃねえか」と呟いた。   「お前は変化のど真ん中にいる。なら答えなんてなくて当然だ。それをしゆが怒ったりもしないだろ、ゆっくり考えてしっくりくる答えを見つけたらいい」 「しゆが死んでしまうかもしれない」    今はまだ悩んでいて当然の状況であり、急ぐべき時でもないと零すダンくんに。  オレたちの時間の流れと、しゆの時間の流れは違うと呟いたら彼は「しゆならそれでも待っていそうだけど」と可笑しそうに笑いつつ、「その前には答えを出す、くらいで考えてやれ」とオレの頭を優しく撫でた。    蜃、というしゆに呪いをかけた張本人が姿を現して。  しゆは、強制的に己に向き合わされている。過去と、そして今と。  今の方はオレも炊き付けたがそうでなくたってしゆは僅かな時間でその答えを出すことを強いられるだろう。  呪いのせいで忘れた記憶を取り戻した時、しゆは一体どんな答えを出すのだろうか。  オレや、遊羅やダンくんと縁を切る方を選ぶのだろうか。それとも、蜃との縁を切るだろうか。  はたまた、彼の中には別の選択肢が浮かんでいるのか。    しゆが出した答えにとやかく言える関係ではない。  だからそれがどんな答えであったとしても、オレはそうかと受け入れる他ないわけで。  その為にしゆと同じ好きだと言うにはまだ足りない。  故にこれは我儘なのだろう。    しゆが他者との縁を切ることに躊躇しないと知っているからこそ。  しゆが、忘れた過去を思い出した時にオレとの縁を切ることを選ばないで欲しいと願ってしまうのは。

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