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第2話 キスの神話性

「ちょっと、あのっ、ねぇっ」 「……」  これって誘拐じゃん? 手引っ張られて、さらわれたんだけど。  何? 「ねぇってば」  マスクしてて顔がわかんない。知らない人。 「ねぇっ」 「コンビニ」 「は?」  引っ張られて連れていかれた先はコンビニ、だった。  買い物? っていうか、手をさすがに離して欲しいんだけど。 「!」  マスクの人が俺の手をしっかりと掴んだままお店の中に入って、奥のATMへと真っ直ぐに進んでいった。 「ちょっ!」  暗証番号見えちゃうんだけどって、慌てて顔を反対方向にだけ向けたけどさ。でも、そっちだって暗証番号隠すくらいのことしない? フツー。俺がその番号がっつり確認して、隙を見て、カードパクったらどーすんの?  普通に俺が犯罪者になるだけだけど。そこまで選択肢を間違えたりはしないけどさ。  それに、これ、けっこう不思議な光景だよ。  ATMに男二人、片方はその手首を掴まれてるっていうの。 「……」  機械を操作してるところをチラリと見た。もちろん、手元の数字を打ち込んでるところは視界に入らないように気をつけながら。  見た。  マスクしてるからさ。顔全体が見えたわけじゃないけど、多分、きっと、けっこうイケエン。ストレートな黒髪が目元まで来てるからわかりにくいけど、フツーにかっこいい感じ。  フツーに。  男でも、なんでも、お金出して、セックスの相手を探す必要なんてないだろって感じ。  声かけて、無料で、清潔な男でも、女の子でも、セックスできると思う。なのに――。 「終わった」 「はい? ちょっ、ねぇ!」  色々考えてるうちにATMでやらないといけないことが終わったらしいマスクの人が手を繋いだまま、また迷うことなく、よそ見することなく外へと出ていく。 「ねぇ」 「はい」  そう言って、マスクの人は財布から何枚か出したお札と合わせて、今さっきのATMのところにあった封筒に入れて、俺へ差し出した。 「え?」  狼狽えるでしょ? こんなの、俺は思わず、その手ごと突っぱねるように押し返したら、中身がわからないとでも思ったのか、「三十万」って、低い声でボソッと呟いた。 「………………は? ね。マジで何言ってんの?」 「代金」 「いや、だから、そうじゃなくて」  だからさ、マスクしててわからないけど、何? そのマスク取ると、口でも裂けてるとかなわけ?  無料でいくらでも清潔な男でも女の子でも、セックスできるってば。っていうか、三十万なんて出すなら、もっと高級なとこの美形とやれるって。  まぁ、高級だろうと、フツーのデリヘルだろうと、どんなに顔が綺麗だろうと、スタイルがよかろうと、ヤルことは代わりなくて。  セックスっていう行為の内容が特別になるわけでもないけど。  やること一緒じゃん。  突っ込んで、吐き出す。  ただそれだけ。 「いや、あの」 「ホテル」 「え?」 「ホテルってどことか指定あんの?」  いや、そんなのないけど。そう小さな声で答えると、頷いて、自分のスマホを手に取った。繁華街から外れた横道は街灯しかなくて、スマホの明かりがぼんやりと彼の顔を照らしてる。  あ、睫毛長い。途中で黒いマスクに隠れちゃうけど鼻筋も通ってる感じ。  ね? フツーにイケメンじゃん。 「取った。ホテル」 「は?」 「こっから近いから」 「え?」  ね。 そんなイケメンがさ、なんでって、こっちは思うに決まってるじゃん。 「ダブルだけど」 「え? あ、うん」  なんか、本当にホテル、来ちゃった……んだけど。  本当にフツーのシティーホテル。なんなら、ちょっと高くない? ここ。ほら、商業施設が近いし、駅から直結のとこじゃん。健全な、ファミリーだって泊まれる普通のホテルじゃん。 「ルールがわからないけど、ツインじゃないとダメとかある?」 「え? ないよ、そんなん」 「そっか」  歳、そんなに変わらないよね。 「っていうか、あのさ、セックス相手ならちゃんとするけど、その割り込みっていうか、あの場で、なんでそんな気に、急に君がなったのか知らないけどさ」 「……あのオヤジのほうの断ったら店側になんか言われる?」 「あー……いや、むしろ、あのお客さん、ルール破ってるから、まぁ、別に」 「……そ」  君、フツーにかっこいい人、じゃん。 「っていうかさ、その、なんで? あ、もしかして、癖が個性的?」 「……いや、多分、フツー」  フツーって……。  じゃあ、なんで俺買ったの? 買う必要なくない? 「あー、それか超お金持ちの気まぐれ的な?」 「いや、フツーの大学生」 「大学生……」 「学生って、アウト?」 「そういうわけじゃ……ないけど」  言ってて自分でもアホだなぁって思うけど、そんな理由でもないと、大金出して、自分を買おうとする理由がわかんない。  だって、どう考えたって、やっぱり、俺のこと買わなくたってセックスの相手くらいいるでしょ? 「………………」  そこでピタッと止まっちゃった。  変な人。  そんで、なんか困ってそう。いや、困ってるのこっちなんだけど。 「あ、じゃあ、始める?」 「!」  びっくりして、一旦、彼が窓の外へ視線を向けた。あ、やっぱ、気まぐれでしたくなくなった、とか。まぁ、そうでしょ。売られてる身体なんて抱きたくないでしょ。もしかしたら、なんかの罰ゲームだった、とか? わかんないけど、だって、俺のこと買っておいて、どうしようか困ってるって。 「あ、マスク、そのままでいいよ。顔見られたくないでしょ」 「!」  身バレ防止とかかな。たまぁに、そういう人もいるし。人それぞれ色々事情があると思うし。 「いや、これは……別に」 「? ……!」  顔、見られなくないっていうか、知られなくないんだと思ってた。ゆっくりと、黒いマスクの紐に指をかけて、彼がそれを取ると、ドキッとするくらいに整った顔が恐る恐るこっちを見上げた。 「……」  いや、あの……恐る恐るになるの、こっち、なんだけど。  マスクしててもかっこいいって思ったけどさ、マスク取ったらホントにかっこよくて。 「キス」 「え?」 「キスはしても平気?」 「え? あ、うん。全然、かまわない……けど」  いいのかな。  なんか、あのさ。 「ど、ぞ……っ」  腰をぐいって引き寄せられて、目眩、した。 「ぁ……」  背が俺より数センチ高い彼の大きな掌の体温を背中に感じて、なんか、ドキドキしてる。 「……っ」  キスに神話性なんて持ってない。大昔の素敵な夢物語の映画じゃないんだから、キスは好きな人と、なんて思ってない。  そんなロマンチックはどっかになくなっちゃった。 「……ン」  けど、ドキドキした。 「ぁ……ッ」  このキスは、ドキドキ、した。

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