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第6話  美味しいケーキと美味しくないケーキ

 彼は、同じ歳くらいだと思う。  大学生って言ってたけど。  三十万とか、さ。  大学生でそれって大金でしょ。  なんで男を買うのにそこまで払おうとしたんだろ。  っていうか、どう考えたって思いつきっぽいのにさ。話してても、初めてっぽかった。風俗。実は初風俗に行ってみようと思って偶然あそこに通りかかって、あ、ちょうどいいってなった、とか? ありえなくない?  突拍子なさすぎるでしょ。  もしくは――。 「……い、おーい、マホ?」 「!」  ハッと顔を上げた。 「……ぁ、何?」  同業のナオがニコッと笑って、隣に密着するように座った。  同じキャスト。ほぼ同時期に入店したからか、見かけるとちょくちょく声をかけてくれる。顔が可愛い系で、目がデカくて、客への営業スマイルも完璧。だから人気もあって、ダントツナンバーワン。 「この間のお客さん大丈夫だった?」 「え? あー」 「あの日、連絡つかなくてさぁ。オーナーがすっごい心配してたよ」 「オーナーが?」 「そ。全然連絡がつかないって、送迎の人に連絡ないかって何度も確認してた」 「あー」  送迎のことで連絡、入ってたっけ。 「まぁ」 「で、そのお客さんどうなったの?」  あの複数好きの変態おじさんはお店に苦情入れたっぽい。約束すっぽかされた、ルール違反だって。いやいやルール違反したのそっちでしょ、って思うけど、ああいうのにはルールも何もないんだろうね。オーナーにはうちに帰ってからメールしておいた。お客さんと待ち合わせしてたけど、行ったら、急に複数って言われて、それ困るって断っても全然無理強いされて。  怖かった、って。  全然怖くなかったけど、そこは、ね。  だから、あのお客さんはもう一切入店禁止になったっていうのは聞いた。入店っていっても、実際にお店に入ってくるわけじゃないけど。  俺たちがデリバリーされるわけだから。 「出禁」 「マジで? 厳しっ、やっぱ、オーナー、マホのこと気に入ってるよね」 「あはは、違うって」 「いや、お気に入りじゃん」  気に入ってる、とかじゃないんだよね。ただ、店に入れたのが自分だからってだけ。  この仕事をするきっかけになったのが自分だからってだけ。  これもきっと男運のなさ、だよね。  もう恋愛は諦めて、性欲解消のためのセフレでちょうどいいって思うようになってから、このお店のオーナーと知り合った。もちろん、関係は身体だけ。数回セックスして、誘われた。  ――恋人作らないの? 作らないならさ。  セックスでお金稼ぐのは? って言われて。  そこからアルバイト感覚でするようになった。お店はこういう類の中ではしっかりしてるほうだよって言われて、ちゃんとお客さんも選んでキャスティングするし、危ないことは一切させないし、やらせないって言ってたから。オーナー自身も、危なそうな感じはしなかったから、じゃあ、まぁ……って入店した。  キャストの働き方はそれぞれで、学校とか仕事しながら、好きな時間だけ予約を受け付けて稼ぐ人もいれば。オープンからクローズまでガンガンに予約入れる人もいる。ナオはそのガンガンに予約を入れる方のタイプ。  俺は、まぁ、普通に。  大学も、辞めたし。 「どの子も俺はお気に入りだよ?」 「わ、オーナーだっ!」  接客が上手なナオはすごく嬉しそうな笑顔を向けて、オーナーもそれに答えるように上手な笑みを浮かべてる。 「マホも大事だし、ナオくんもすごく大事な店のキャストだよ」 「ありがとーございまーす」  ここで働いてる子の大半はオーナーとセックスしたことがあるって、聞いたことがある。噂だけど。自分が試験代わりにセックスして、合格点の子だけを勧誘するって。  まぁ、実際、オーナーはめちゃくちゃ上手だったっけ。だから、俺も当時、複数回、この人とはしたし。 「そんな大事なナオくん、まだ次の予約まで少し時間あるよね」 「はい!」 「新規さんなんだけど」 「あ! イクイク! 僕、行きます!」 「ありがとう。助かるよ」  また一人常連を作れるかもって、ナオが元気に立ち上がった。 「じゃあ、行ってきます! あ! そうだ。マホ」 「?」 「この間、マホが勧めてくれた映画監督の新作、始まった」 「え? マジで?」 「うん。コマーシャルやってたよ」 「えー、そっか。じゃあ、今度行ってみる」  テレビなんて観てないからわかんなかった。SNSとかもしないし。メディア関係ほぼ無視してるから。お気に入りの映画監督が新作を撮ってるっていうのは映画雑誌の特集記事で知った。表紙に書いてあって、そうなんだって、そこで知った。  普段、自室でしてることっていったら「寝る」くらい。実際、仕事が終わって、部屋に戻ったら、もう一度しっかりお風呂に入りなおして、ベッドに潜る。眠たくて仕方ないもん。  ヘトヘト。 「うん。それじゃねー」 「うん」  今日もこの後、いくつか予約がもう入ってる。  今日は、この人と、あと、この人。どっちもリピート。 「映画?」 「そ……」 「マホは映画が好きなんだ」 「……まぁ」  今日も、この身体を売ってセックスをする。 「今日、終わったら、オフだから」  やっぱ、俺は下手だなぁ。選ぶの。  強引にそうなっちゃったから仕方ないって思ったけどさ。  選択肢、C。  ―― 二十万出す。  どう頑張っても、どんなに考えても、俺は何を選ぶのもすごく下手。  ――なら三十万。  選択肢Cのせいで、あの日からずっと、もう二度と味わうことはない、高級ケーキの味が喉奥に残ってて、困ってる。  もう二度と食べることはないのに。  あまりに美味しかったから、あまりに甘かったから。  もう二度と食べられないのに。  ずっと頭の中はあの日に貪って食べたご馳走のケーキのことでいっぱい。 「……はぁ」  困るんだよね。いつもは、毎日食べるのは、なんの味もしないパサパサで飲み物がないと喉で詰まっちゃいそうなケーキだったのに。知らなければ、そのケーキで満足できたのに。  知っちゃったから、いつも食べてるケーキが美味しくないと気がついちゃった……じゃん。

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