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第7話 デートじゃないけど

「イタタ……」  腰が重だるくて、ちょっと階段がしんどい。 「はぁ、もぉ……」  昨日のお客さんがしつこくて、延長とかされて。粘着質できつかった。  もう、マジで、勘弁してって言いかけたくらい。  帰り、送迎してもらったけど、爆睡だった。  そんなだったから、朝、起きられるわけもなくて。本当は明るいうちに映画観に来たかったのに。全然起きられなかった。  予定では映画を午後観て、少しブラブラしてから、帰宅してパンフレットとか読みながらゆっくり夕飯って思ったのに。  どうして翌日オフの日に限ってヘビーなのが来るかな。さすが男運ないよねって感じ。  楽しみにしてたのに、身体がダルいんじゃ楽しめないじゃん。 「……はぁ」  しかも、ここ、この間の出禁になったおじさんと揉めたところの近くだし。  まぁ、だからと言っておじさんに遭遇するとは思わないけどさ。  けど、そこしかやってなかった。他の映画館だと、遠かったり、夕方からはやってなかったり。まぁ、仕方ない。大作なんかじゃないし。マイナーだし。有名な監督でもないし、有名な俳優がキャスティングされてるわけでもない。  けど、渋くて好きなんだよね。  映像がさ青みがかってて、色彩感覚がすごいけど、うるさくない。  構図も一瞬一瞬、切り取って写真になれそうなくらいに、こだわってるのに、全く物語の邪魔をしない。  この時間帯がラスト上映だって。  ちょっと早く着いちゃった。  でも、駆け足とか無理だから、ゆっくりでちょうどいいや。  一年……か。  この仕事して、もう一年になる。  何年も続ける仕事じゃないって最初からわかってる。こんなの続けられて、数年でしょ。身体、ぶっ壊れるよ。だから、風俗で働いてる女の子は全員本当にすごいなって思うよ。俺よりもずっと華奢な身体でこの仕事をしてるんだから。  ほんと、もっと、労ってあげ――。 「いたっ!」  強く大きな、低い声がした、と思った瞬間、片腕をぐいっと持ち上げられて、びっくりしすぎて声もでなくて。 「いた……」  今度は静かに、小さな声が、確かめるようにそう呟いた。 「……え」 「いた……探してた」 「え、えぇっ?」  彼、だった。  この間、俺のことを買ってくれた、あの彼。 「ずっと、探してた」  まるでロマンチックな映画の中のセリフみたい。 「ここにいたら、また会えるかもって思って」 「……ぇ」 「何度か来たんだ」 「えっ、なんでっ」 「あの時の金、持って行ってもらえてない」 「いや、あれは」 「っていうか、もしかして、これからまた仕事?」 「あの」 「それなら、また」 「映画」 「えい…………が?」 「そうこれから映画を観にいくとこ」 「あ!」  気がついた、みたいに、彼がハッとした。何に彼が気がついたのかはわかんないけど。俺は首をかしげながら今日は仕事が休みで、映画を観に来たんだって教えた。 「それと、腕」 「あ!」  パッと手を離してくれた。 「ありがと。あと、あの時のお金は、いいよ」 「え、けど」  お金もらえないでしょ。俺、フツーにセックスしちゃったもん。予約してたお客さんじゃないし。むしろ助けてもらったし。 「だから気にしないで」 「!」  気持ちよかったし。  代金はけっこうです、って言った。今日は仕事じゃないって伝えた。じゃあ何にしにここへって質問には、映画を観に来ましたって答えた。  すごいね。  偶然ってこんなに重なるもんなのかな。  いや、悪い偶然なら重なったことあったけど。男運の悪さだけはすごいから。 「それじゃ」 「あ、あとっ」  また会えると思わなかったな。 「映画、俺も観たいのがあって」 「へぇ、そうなんだ」 「それで、ここの映画館にちょうど来たら、貴方がいたから」  本当にすごい偶然。 「そっか。じゃあ……」  これもきっと、選択肢、だよね。  一つ目は、彼と一緒に映画館にいく。  もう一つの方は、そうなんだ。偶然だねって笑って手を振る。こんな偶然は不自然すぎるから、ちょっと怪しいし、三十万を俺に払ってくれるのもすごく不自然だから、警戒して、別の映画館に行くか、また次の機会にしてしまう。  どっちだろう。  どっちを選ぶのが良い選択なんだろ。  いつも間違えちゃうんだけど。  今、俺が選んだのはさ。  じゃあ、さようなら、って。 「じゃあ、一緒に、行く?」  言わなかった。俺が選んだ選択肢は、そっちじゃなくて。 「映画館まで」  こっちだった。  きっと彼が観たいのは有名な映画でしょ? 「…………ぇ?」  大ヒット上映中のあっちの映画、でしょ? 「観たい映画って、これ?」  彼は、コクンと頷いて、少し長い前髪がその拍子に彼の目元をくすぐった。 「そっちは? 観たい映画って?」 「ぁ……えと……」  こんなことってあるのかな。 「……同じやつ」 「そっか。チケットは?」 「あ、まだ、買ってない」 「……わかった」 「え、ちょ」  彼、チケット買いに行っちゃった。  ねぇ、こんな偶然ある? 俺がさ、先にこの映画を観ますって言ったのなら、俺もそれって、彼の方が合わせられるけど。いや、そこまでして彼が俺と一緒に映画を見る理由は思いつかないけどさ。でも、今回、彼の方から観る予定の映画を教えてもらった。俺は何にも、何を観たかったのかなんてこと、一言だって言ってなくて。  大ヒット映画でもなくて。  有名俳優も出てなければ、ビッグネームの監督でもない。 「はい。チケット」 「えと、代金」 「いーよ」 「や、そういうわけには」 「三十万借金がある」 「えぇ? っちょ」  映画館のロビーはすごく混雑してた。人がうじゃうじゃいて、だから、ほら、俺たちの隣にいた家族のママさんが、三十万の借金っていう単語に目を丸くして振り返っちゃったじゃん。 「後、ドリンク買ってくる」 「え、待っ」  歩くの、早っ。  あっちこっち、人が多すぎてわけわかんなくなってる中を颯爽とすり抜けてっちゃう。  背、高い。  黒髪なんて日本にいたらほぼ大半がそうなのに。 「……」  彼の黒髪だけ別物みたいに目を引く気がした。 「……なんか」  デート、みたい。  一緒に映画観んの? バカみたいにでかいバケツボックスで甘いポップコーン食べながら? なんだかデートみたいなんだけど。 「ほら、行こう」 「え、ちょっ」  今日の上映はこれでおしまい。だから慌てて彼の後についていくと甘い香りがした。  バターとキャラメルの、少し甘ったるい匂いは、今日、ダルくて何にも食べていなかった空腹にはひどく刺激的で。 「っ」  何だか急にお腹が空いてきて、下腹部の辺りがギュッて、何だか締め付けられた。

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