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第8話 デートみたい

 映画を観ている間、ずっと、キャラメルとバターの甘い香りがしてた。  不思議。  俺って甘党だったのかな。いや、普段はあそこまで甘い匂いは苦手なはずなのに。  美味しそうって思った。  その甘い匂いを。  普段は映画を観る時、なんも頼まないんだよね。ドリンクすら頼まない。いっつも映画に夢中になりすぎて、飲むの忘れちゃってさ。俺、エンドロールもしっかり観る人だから、それが終わるとすぐにみんな立ちあがっちゃうでしょ? そこから、残った飲み物を一気飲みすることになるから、買わなくなっちゃった。  ドリンクすら頼まないんだから、ポップコーンだって頼むわけない。あんなバケツボックスから溢れちゃいそうなくらいのポップコーンこそ、映画を観ている間に食べ終わる気がしない。  だから、初めだった。  映画を観ながらポップコーンを食べるのは。  美味しんだね。知らなかった。キャラメルバター。  すごく、美味しくて、これならあれだけ入ってても食べられるかもって。 「あのシーン! すっごいあったまいいって思った! 「あー……階段のシーン」 「そう! それ!」  大好きな監督の新作は、クライムムービーだった。女の人が二人、マフィアのお金を持ち逃げする映画。二人は追ってきたマフィアの下っぱを誤って銃で打って殺してしまった。そこから追っ手は、マフィアと、そのマフィアを一網打尽にしようしている警察官。二つの組織に追われながらも彼女たちは大金をバッグいっぱいに抱えて、大笑いをしながら、颯爽と真っ赤なスポーツカーで走り去る。  人を踏みにじるマフィアに楯突いて、けど、正義をやたらと振り翳す警察官にも頼らないで、たったの二人だけで逃げ切るのがすっごく爽快だった。  正義でもなくて、悪でもない。  ただ、彼女たちは、彼女たちの思うままに、好きな道を好きなように走っていく。 「最後、警察に助けを求めちゃうのかと思った」 「と、見せかけて、出し抜く」 「そう! 最高!」  いつもだったら、ポップコーンもドリンクもなし。もちろん、映画を観終わった感想の言い合いっこだってしない。  一人、自宅でご飯食べながらパンフレットを端から端まで全部読む。 「あの、途中で彼女たちを助けてくれる女優さん、前にもあの監督の映画に出てた気がするんだよね」 「あー銀髪の?」 「そう! どの映画だっけ」  思い出そうとしてたら、彼が自分の席の隣に置いていたパンフレットをパラパラとめくった。  彼も、映画を観たら必ずパンフレットを買う派なんだって。  俺はもちろん絶対に買ってる。  どのパンフレットもとって置いてるから、たまに変形型のパンフレットとかだと困るんだよね。棚に収まらなくて。 「あぁ、この映画だ。確かに、出てた」  そう言って、彼がパンフレットの中、キャストの欄の端にいた女優さんの出演作品の中の一つを指さした。この監督が撮った何年か前の映画のタイトル。ね? ほら、そうだった。 「おお! すご、俺の記憶力」 「確かに」  っていうか、このタイトルだけで、この監督の作品ってわかる彼もすごいと思うんだけど。  あの監督の映画を知ってる人って、そうそういないと思うんだけど。 「俺は、あそこも興味深かった」 「えー、どこどこ」  楽しい。  いつもったら、もう部屋で同じこのパンフレットを眺めて、あ、この女優さんやっぱり観たことあったじゃん、って一人で気がついて、一人で、自分の記憶力を褒めてた。  けど、今日は映画館の近くにあった居酒屋でお酒を飲みながら、パンフレットを広げて、あれは演出やばかった、このシーン最高だった。ここ、かっこよかった。って、映画の感想を言い合ってる。  なんかさ。 「あー、けど、すご……」 「?」 「だって、この監督のこと詳しい人、初めて会った」  デートみたい。  映画観て、食事して、お酒飲んで、おしゃべりして。 「映画、好きなんだね」 「……まぁ」  まるで、デートみたい。  デートなんてしたことないけど。  何せ男運なら最低なんで。  デートなんてしない。基本、セックスするばっかりだった。デート、っていう分類にされるようなことっていったら、セックス前にファミレスでご飯をパッと済ませるくらいかな。ね? だから、セフレでいいやってなっちゃう。  こういう感じなのかな……デートって。あんまり楽しくないなって。 「さ、じゃあ、そろそろ帰ろっか」  ちょっと、楽しいなぁ。 「俺、払うよ」 「いやいや、学生さんに奢ってもらうわけにはいかないでしょ」  席を立って、お会計を済ませて外に出た。  もう遅い時間なのに賑やかなまま。駅へと向かうと、もっと混みいって、待ち合わせの人たちが薄暗い中で、スマホと睨めっこをしてる。明日もお仕事だったり学校があるはずの平日なのに、こんな夜遅くまで外をフラフラしてて大丈夫ですか? って、こっちが心配になるくらい。 「今日は偶然会えて楽しかった」 「……」 「それじゃあね」 「送る」 「え? いいよ。大丈夫」 「いや、さっき、駅で会った時、ふらついてたし、送る」 「あ、あれは……大丈夫」 「いや」  優しいよね。  優しいけど、なんかちょっと無口で、強引っていうか、そういうの。 「ほんと、平気。あれは職業病ってやつ?」  たまんない。 「あ! 性病ってことじゃなくて、その、昨日のお客さんがけっこう激しくて……だから、まぁ、しんどかったっていうか。もう平気! お腹いっぱいご飯食べたし。っていうか、こんな話されても困るでしょ? 気にしないで。いつものことっていうか。だから、職業病ってこと」  好みっていうか。  好み。  少しMなんだよね、俺。だから、ちょっと強引にされたり責められるのが好きで。だから、ダメな男にばっか当たるっていうか。無理なことされても構わなくなっちゃうっていうか。 「ほんと、全然気にしないで。ほら、ね? もう全然へーき」  そう言って、その場で真っ直ぐに立ってみせた。ほら、よろけてない。大丈夫って。  でも、俺の好みだからって、何? って話。  彼にしてみたら、俺って好みとか以前でしょ。論外っていうか、枠外っていうかさ。男の俺を買って抱いたんだから、恋愛対象とか性欲対象は同性なんだろうけど。でも、こんな優しくて、イケメンの相手に俺が選ばれることなんてない。 「それじゃあね」 「また」 「え?」  彼が選ぶのは、俺じゃない。 「また、お願いしたいんだけど」 「……」 「どこで、その予約すればいい?」 「え、ちょっ」 「ネットで予約とかすんの?」 「えぇ、ちょ、そんなことしなくても、君ならさ」 「俺」  やばい。なんか、そういうの、やばい。  おとぎ話じゃん。  何か勘違いしてるんだと思うよ。何をどうして、そんなこと思ったのかわかんないけど。 「俺、明隆(あきたか)」 「……え」 「名前、そういえば、言ってなかった」 「……」 「芝明隆(しばあきたか)」 「今度は予約する」  勘違いしちゃうって。  ねぇ。 「貴方を」  俺の好み。  とか、俺は君の枠外なのに、思っちゃう。  選ばれないのに、勘違いしそうになっちゃうよ。

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