9 / 79

第9話 予約一件入りました。

 一回限りの特別で、映画の中の出来事みたいに思ってた。  お客さんと揉めてるところに現れて、俺のことをさらってくれて、あんなふうに抱いてくれる、とか。  もう会えることはないんだろうなぁって。  向こうは、彼は、普通の大学生なんだし。あの晩は「ノリ」だったんだろうなぁって。  偶然、駅でばったり再会した時だって、その次があるとか、ここから何かが起きるとか思ってなかった。だから名前は聞かずにいようって思ってた。  知ったところで、じゃん。  普通の大学生と、身体を売って生活している風俗嬢、嬢じゃないけどさ。  そんなの、住んでるとこ違うでしょ。  だから変な期待を持たないように。  期待っていうのも、なんか、違うけど、あんな甘くて、気持ちいいセックスはそう何度もできないってわかってるから。 「……し」  また会えるかもなんて思わないように。 「…………ば」  名前は聞かないでいた。  名前を知ったら知らない他人じゃなくなっちゃうでしょ。  ――芝明隆。  けど、名前、聞いちゃった。  言われちゃった。  知っちゃった。  ね? だから、ほら、やっぱり期待とかしちゃってる。  しない方がいいって。絶対に。期待なんて。  してどーすんの?  セックスを売ってる俺と、勉強を頑張ってる大学生。しかもイケメン。  会ってどーすんの?  だって向こうから言ってきたんだってば。  セフレになんの?  お客さん?  それこそ、ないでしょ。大学生で絶対にモテそうな人がわざわざお金出して、俺を抱くとかさ。ないでしょ?  ねぇ。 「……芝」  彼とはさ――。 「しば?」 「! ナオ」 「おはよ。珍しいね。ここにいるなんて」 「あー」  あんまりお店の待機のところにいることがない。いると、予約じゃないお客さんの対応が入ったりするから。電話で、直にたまにかかってきたりして。この前のナオがそうだった。新規のお客さんから、とりあえずって指名なしの予約の電話。そういう時は、スケジュール共有アプリで誰かにあてがわれることもあるけど、待機の部屋にいる誰かに声がかかることもある。  だから、まぁ、今日はここにいるんだけど。 「んで? しばって? もしかして、縛っちゃう的な?」 「違うって」 「なんだ。マホ、急にハード系進出するのかと思った。バラエテイ増やしてくのかと」 「しないよ」 「あはは」  ナオは明るい。  セックスが好きでこの仕事を選んだって言ってた。俺も別に、この仕事をするのに悲壮感とかはそんなに感じてない。気持ちイイことでお金がもらえるのなら最高じゃんって、よく笑ってる。  俺もセックスは、好きだし。  気持ちいいこと、フツーに好きだし。  借金があってイヤイヤこの仕事をしているわけじゃない。普通のバイトよりもずっと稼げるから、この仕事をするようになっただけ。  けど、けどさ。  気持ちイイことばかりじゃないでしょ。  セックスは好きでも、好きじゃない行為の時もあるし。  人の、嫌なところももちろん、見かけるから。  接客業って大体そうなんじゃないかな。それがこういうのでも、アパレルとかでも。アパレルの人には一緒にすんなって怒られそうだけど。  接客業に携わってる人は多かれ少なかれ、人のイヤなとこを見かけると思う。  アパレル系とかだったら、せっかく綺麗に畳んで陳列していた服を手に取って、そのまんまくしゃくしゃに置いていかれる、とか?  仕事なんでしょ? って、横柄になるお客さんもいるだろうし。  それが、もっと「欲」で成り立ってる仕事だったら余計に出る。「欲」をお金を払って解消しようとしてるんだから、露骨なことってたくさんあってさ。  そういう、露骨で剥き出しな「欲」の解消のための行為に少しだけ疲れてたのかもしれない。  だから、あの晩の「セックス」はいつもの商品としての「サービス」よりも、なんか甘かった。  甘くて、美味しかった。  だからもう一回味わえないかなって思って、スマホを何度も確認してる。  お客さんから予約が入ったら、通知が来るように設定はされてるから。  ね? やっぱりもう期待してるじゃん。  何度も、本当にただの大学生が、フツーの大学生が、何万円も出してセックスを買うわけないじゃんって、頭の中で自分に言って聞かせてるのに。やっぱり、「芝」くんからの予約が入るかもって、何度もスケジュールアプリを確認してる。 「……マホ?」  その時だった。 「!」  飛び上がった。マジで。本当に。  明日、明後日はもう予約埋まってる。明々後日は、お休みで。その次の日のとこ。  え?  ちょ?  芝くん、何してんの?  ねぇ、ちょっと。 「マホ? どーかした?」  こんなの、しちゃ、ダメじゃん。 「ううん。何でもない」  スマホのスケジュール管理アプリにポンって送られてきた予約。夕方から夜、遅くまで。俺の出勤時間全部丸ごと予約が一気に入ってた。  彼が、予約しちゃった。  芝くんが、その日を丸ごと買っちゃった。 「何でもなーい……」  しない方がいいってわかってる。  期待なんて。  してどーすんの? って、思ってる。  セックスを売ってる俺と、勉強を頑張ってる大学生。しかもイケメン。  会ってどーすんの? って、ちゃんと、何度も自分に言ってる。  セフレになんの?  お客さん? って。  でも、今、やっぱ、嬉しくて、笑っちゃうくらい頬が熱くなった。

ともだちにシェアしよう!