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第10話 落っこちちゃいそう。
丸ごと一日、全部予約埋めちゃうからびっくりした。
けど、今だけのことって、わかってるよ。
全然、期待とかしてないし。っていうか、期待って? って思ってるし。
芝くんは、お客様で。
俺はそのお客様に身体で奉仕をする仕事、をする、だけって。
ちゃんとわかってる。
「!」
駅の改札へと向かいながら、大きなガラス窓に映った自分の姿を確認した。センター分けにしている前髪を少しだけ整えて、服装が乱れてないか確認した。
うん。
わかってる。
彼は、芝くんは、新しい遊びにちょっとハマっただけ。
俺はその間だけ、なんだかいつもよりもいい気持ちになれる時間をもらうだけ。
こっから何かがあるわけじゃないってわかってる。
大丈夫。
彼が、勉強の休憩に寄り道をしているだけだって。
こんなのお金の無駄遣いだなって気がつくまでだって。
ちゃんと――。
「!」
わかってるよ。
「芝く……ん……」
声をかけると、視線をこっちへ向けた。
今日は、マスク、してないんだ。黒髪は少し、この間よりもなんかセットされてるように見える。
背、高いよね。俺は多分、標準的身長だけど、そこから十センチ近く背が高い。黒髪に黒のTシャツに黒いパンツ。ワントーンなのに重たく見えなくて、センスいいよね。
フツーに、モテるんだろうなぁ。
けど、引き締まった表情は、ちょっと近寄りがたい感じもするかも。
あの時、ナオだったら、きっと芝くんのことお気に入りになってた。そんでもって、きっと俺よりもずっと上手だから、もう俺の入る余地なしだったし、あまりに小悪魔なナオに芝くんはどハマりして、お金をたくさん使っちゃってたかも。
「今日は、その、ありがと」
「あ、いや、こっちこそ」
今日のだって、ナオがいる時に予約が入ってさ、何なに? なんかあんの? ってすっごいしつこく聞かれたんだ。通しで買ってくれたお客さんがいただけ、って言ったら、「へぇー」って感じだったけど。
「じゃあ、行くけど」
「あ、うんっ」
一日分、買ってくれた。
俺の一日分を、ただそれだけだよって、ナオに、ちょっと退屈そうなフリをして話しただけ――。
「え? ちょ、あの」
ホテル、行くんだと思ってた。駅で待ち合わせをしたいって、スタート希望欄に書いてあったけど、この間が駅で遭遇して、そこからホテルに行ったから、そういう流れだと思ってるんだろうなぁって。
だから、今日、ホテルで待っててもらえたら俺がそこに行くよって言おうと思ってた。
あと、通しだと高くなっちゃうから、通しじゃなくていいよって。早い時間帯を取ってもらえたら、その日、誰かの次にならないジャンって。そのあとに、誰かが芝くんの「次」のお客さんになるだけだよって。
言おうと思ってたんだけど。
けど、来たのは、ホテルじゃなくて、スポーツ施設のある、公園。
この施設内にあるスケート場で大会が行われてるみたいで、すごく賑やかだった。バーベキューもどこかでしてるみたいで、風向きでたまに焚き火の匂いがしてくる。
「あ、あのっ、ここって」
「靴のサイズいくつ?」
「え? 二十七……って、そうじゃなくてっ」
ねぇ、ここホテルじゃないよ。
戸惑ってる間にテキパキとその場にいたスタッフさんから専用のシューズを二足借りてきてくれた。
「はい。シューズ」
「は? あのっ」
「はい。初級コースは……紫のホールドだってさ」
「!」
カラフルな石が壁からニョキニョキ生えてるみたいに、顔を出してる。
これ、ボルダリング……ですけど。
「あ、あのっ」
「やったことある?」
「ないけど」
インストラクターの人が見守っててくれた。戸惑ってる俺を見つけて、笑って、そばに来て、やり方を教えてくれた。手を、スタートのホールド? 青い石のところに置いたら、スタートなんだって。ゴールはちょっと高いところにある赤い石。「G」って書いてある。そこを両手で掴んだらゴール。成功。
初めてやるんだけど。
こんなの。
できそうにないって顔をしてたら、芝くんがそのインストラクターにそばでフォローしててもいいかって訊いてた。
「まず、ここに手を置いて。足がマットから離れたら、スタート」
「え、えぇっ」
なんか、始まっちゃったんだけど。
「手、しっかりホールド握って。足はどこに置いても大丈夫」
「む、無理」
「運動不足」
「し、仕方ないじゃん」
「ほら、支えるから」
「!」
どきっと、した。
「次、あっちのでかいホールド」
「こ、これ?」
「そう。手伸ばして」
「っ」
腰をグッと両手で掴まれて、なんか、ドキッとした。手が大きい。俺一人を持ち上げちゃうとかさ。力強さに、なんか……心臓跳ねた。
「オッケー、このまま、足、移動させて」
「う、うん」
「そう。今度は左手で」
「うんっ」
「次、右手」
「っ」
あ、なんか、ちょっと登ってる。
「そのまま、次は足、近くにあるホールドに乗っけて」
「こ、ここっ?」
「そう」
「こっち?」
「そう」
「え、どっちも? 無理なんだけどっ」
「っぷ」
「笑ってないでってばっ」
すごい。
「次は、こっち」
「う、うんっ」
「あと少し」
「っ」
赤い石に手を伸ばした。あとちょっとなんだけど。
「っ」
両手で。
「っ」
掴んだら。
「っ!」
ゴールなんだけど。
手を伸ばして、左手はその赤い石を掴めた。
あとは右手って思った瞬間。
「わっ!」
バランスが崩れて、落っこち――。
「大丈夫ですかっ!」
一メートルくらいの高さから落っこちたけど。
「大丈夫です」
大丈夫だった。
「運動不足」
そう言って笑ってくれた芝くんが俺のことを受け止めちゃったから。
「し、仕方ないじゃんっ」
軽々と俺を抱き止めて、そのままマットに背中から寝転がった。俺を抱き締めたまま。そして、笑ってる芝くんの頭上に都会じゃ見えないと思ってた、星が一つ、キラキラって輝いてた。
星、見えるんだ。
一個だけだけど。
それから。
「もうちょっとだったな」
笑うと、ちょっとあどけないんだって、思った。
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