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第14話 提案
ヤバ。
「……」
どしよ。
「……」
デスクのところに椅子に座りながら、小さく溜め息をついた。
芝くんがシャワーを浴びてるところをちらりと見て、まだ、余韻がつま先に残ってる気がする足先を手で揉んだり、握ったりした。
気持ちよかった。
すごく、気持ちよくて。
たまらなくて。
「……」
だからすごく困る。
ねぇ、これ、お仕事なんだけど? 明日も仕事、あるんだけど?
できる?
っていうか、明日、したい?
セックス。
他の――。
「なんで、この仕事してんの?」
「ぇっ?」
突然話しかけられて顔を上げるとバスタオルを腰に巻いた芝くんが、髪をもう一枚のタオルで、大雑把に拭きながら、ガラスの扉のところに寄りかかっていた。
割れた腹筋をまだ雫が伝ってる。
「なんでって……まぁ、そりゃ」
セフレだったオーナーが誘ったから。
セックスは好きだったから、それでお金が稼げるならいいかなって思っただけ。
「そりゃ、お金、貯めたかったから」
「……」
「なりたいもの? 作りたいもの? があったの」
「……」
なんでだろう。
このこと、今の自分の周りにいる人には誰にも話したことがないのに。
仕事が仕事だからさ、そういう類の質問、お客さんとかにされることもあるんだよね。ナオにも訊かれたことあったっけ。でも、教えたことはなかった。
あははって笑いながら、普通のバイトするよりずっと稼げるからって、よくありそうな答えだけしてた。
なのに、なんで彼には話してるんだろう。
「映画がさ」
彼の黒い瞳に見つめられると、落ちつかない。澄み切っていて、深くて、夜空みたいな黒い瞳は綺麗な宝石みたいだからかな。
「好きで」
「……」
「映画監督、になりたかったんだ。そのためにそういう学校にも行ってた。映像関係のことを学べる大学」
「……」
高校卒業して、映画とか映像の勉強ができるところに進学した。週末は映画を四本とかぶっ続けで見てた。毎週。
「それでいつか映画監督になった時に少しでも足しになればってお金貯めたくて」
「それでこの仕事?」
「借金のかたに、とか、そういう悲劇のヒロインみたいなのじゃないんだよね」
だから、イヤイヤこの仕事をしてたわけじゃない。ちょっと最近は、疲れてたけど。それは、まぁ、そうでしょ。どんな仕事だってしばらく続けてたら、なんかマンネリ化したり、楽しくなくなったり。何だって、鮮度ってあるじゃん。
「でも、まぁ、やった仕事が仕事じゃん? んで、業界にはそういうの趣味な人もいるわけで」
どこでどう知られたのか。
映画業界にも精通してるっていう講師が俺を誘ってきた。
「よくある枕営業? やらせてくれたら、映画のアシスタントに入れてやるって。助監督? 補助みたいなことさせてあげるって」
「……」
「でも、これだけは、そういうのでなりたくなかったんだよね」
貞操観念? っていうやつ、すっごいガバガバだと思うけどさ。セックスで、身体で稼ぐんだから。お金を稼ぐのならオーケー。けど、この身体を売って、なりたい仕事のチャンスを買うのは、どうしてもしたくなかった。
――そーゆーことしてなりたいわけじゃないんだよっ!
誰だって、ピカピカした宝物って、小さな頃に持ってたでしょ? 家族で行った海水浴で見つけた、どこにでもありそうな、けれど、綺麗に形を残した貝殻とか。公園で見つけた魔法の杖みたいな小枝とか。
知らない他人にしてみたら、ただのゴミだったりする。無価値で無意味なものだったりする。
けど、自分にとっては大事な宝物。
それだけは大事にしてたんだ。
大人になっても、俺にとっては大事な「夢」だったから。
――ふざけんなっ!
だから、諦めた。
「それでも、その抵抗がまた興奮したのか、襲いかかってきたから、ぶん殴った。で、逆恨みされて、この仕事のこと言われて、むしろ、枕営業仕掛けたのが俺ってことになって」
ウリしてるんだって?
先生に枕して、助監督させてもらおうとしたんだって。
最低。
そう、コソコソ言われてるのが鬱陶しくて、辞めた。
学校で学ばなくたって別に映画くらい撮れるでしょ。むしろ、こんな四角い箱の中で学んだことなんて映画には死んだ知識なんじゃん? とか、強がったりした。
「で、学校やめて、この仕事だけが残ってました。おしまい」
「……」
セックスは好きだったから。
恋愛は不向きって自覚してたから。
男運はやっぱりなかったってことだから。
週末にはならなかったけど、今でも、たまに四本映画を見てるから。
今、この生活をしてる。
楽しい、かはわかんないけど。
オーナーにセックスでお金を稼がないか? って言われた時。
大学の先生が俺に枕をさせようとした時。
ぶん殴っちゃった時。
それでも学校に行って、陰口が聞こえてきた時。
そんな、その時ごとに現れる二つの選択肢を選んで、迷って、また選んで――ってした結果、ここにいる。
大体は、結果、間違えてそうな選択肢だったかもしれないけど。
「芝くんが同じ監督知ってて、すっごい驚いた」
「……」
「映画通すぎるでしょ」
あの映画監督の話ができた人、映画の学校に行ってた時でもいなかったよ?
「あー、まぁ、そんな他愛のない話でした。っていうか、風邪引くよー。そんな格好でいたら。喉乾いた? 水、持ってこようか」
「……いや」
彼はタオルを腰に巻きつけたまま、自分が脱いで床に散らかした服を拾うと、ポケットからスマホを取り出した。隣のベッドに腰を下ろして、そのまま、何かスマホをいじってる。
大学の友だちかな。
そう考えながら、彼を見つめてた。
「麻幌さん」
「? 水?」
「いや、じゃなくて」
「?」
「提案」
「?」
何? そう思って。次の言葉を待ってた。
「今、自由に使える金全部使って、貴方のこと買った」
「え? は?」
「七日間しか無理だったけど」
「え? あの」
「七日、一週間後。正確には途中、休日あるでしょ。だから、それも入れて七日間」
何言って? 自由に使えるお金全部、使ったって、言った? の?
「貴方が俺以外とセックスしたくないって、なったら」
「……」
「俺と付き合って」
「え、ねぇ」
「俺がとった予約が全部消化し終わって、次、他の客を取ったら、俺は、貴方の前から消えるから」
「何っ」
「九日後、俺の予約がなくなっても、俺と、したかったら」
「……」
「俺と付き合って」
「! いや、だって、一週間分って」
ほら、そう言って、芝くんがスマホの画面を見せてくれた。
画面には今日、六月三十日。明日から? 七日間、七夕の翌日までの全部の時間を芝くんが買い取ってた。
「だから、付けるよ?」
「え、ちょ、待っ」
ウソ、でしょ? ねぇ、全部、オールデー、一週間っていくらすると思ってんの? ねぇ。
「キスマーク、明日も抱くのは俺だから」
「っ」
「いいよね、付けたって」
ダメ、だった。キスマは、前のお客さんの残した痕なんて、萎えるだけだから、つけたら、ダメだった。
「あっ、っ……」
足を抱えられて、そのまま一人用の椅子の手すりに足を引っ掛けるように開いた脚の付け根に。
「っ」
チリリって、小さく甘い痛みが走った。
「明日も、明後日も、七夕が終わるまで俺しか貴方を抱かないから」
そして、その言葉に、甘い疼きが胸に滲んだ。
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