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第21話 甘酸っぱいレモンの

 ―― いいなぁ、マホの貸切一週間が終わったらでいいから、俺を一週間、買ってくんないかなぁ。  そう、言われた。  ナオに。  ナオってさ、天真爛漫で、こんな夜職してるのに明るくて、一緒にいて話題つきないし、けど、話を聞くのがすごい上手でさ。  そりゃ、ナンバーワンでしょって思う。  俺は、フツーだよ。お店の中でダントツ二位ってわけでもない。二位にダントツとかないけどさ。  でも、俺が買う側だったら、ナオを選ぶんじゃないかな。俺も営業スマイルはちゃんとするし、お客さんの話だって聞く。気持ち良くはさせてあげてると思う。リピートしてくれるお客さん、けっこういるし。けど――。  ナオには敵わないって自覚、ある。  それなのに。  ――連絡先、今度、そのお客さんに渡してよ。最終日とかでいいからさ。  それなのにさ。  ――あー、うん。タイミングあったら、渡しとく。  そう言ったけど。  あんま。 「麻幌さん!」  渡したくないなぁって、ナオの、特注で作った、ナンバーワンのキラキラした名刺を受け取りながら思った。 「……お疲れ様」  渡したら、芝くんは、どーすんだろう。  連絡するのかな。 「麻幌さん?」 「!」  覗き込まれて、おでこ、触られた。 「暑い? ボーッとしてる」 「! ぁ、えと」 「北口? 南口?」  うちの最寄駅で待ち合わせた。部屋まで行くよって言われたけど、駅近だから大丈夫、迎えに行くって言った。 「ぁ、北口」  そう呟いたら、目を細めて笑って、おでこに触ったせいで乱れた俺の前髪を丁寧に直してくれた。長い指が、そっと、俺の髪に触れた。 「い、行こっか」 「ん」 「こっち。すぐだからさ」  駅の改札は息をするのが少し苦しいくらいに、昼間の日差しの熱がぎゅうぎゅうに溜まってる。そのせいで俺が熱中症っぽくなってると思った芝くんが少し早歩きで、その熱気の詰まった場所を抜けていく。 「すげぇ暑い」  そうぼやいてから、パタパタと黒いTシャツの襟口から風を送り込んでく。 「今日は何してたの?」 「俺?」 「そ」 「あー、掃除とか洗濯。あと、買い物」 「フツー」 「いや、むしろ何してると思ってたわけ?」 「…………映画鑑賞」 「っぷは」  したいけど、そうもいかないでしょ。芝くん来るし。 「芝くんは?」 「今日?」 「そ」 「フツーに大学行ってた」 「フツーじゃん」  そう言ったら、ちょっと口をへの字に曲げてる。 「どんな勉強?」 「…………色々」 「おい、ちゃんと勉強してんの?」 「してる」 「はい。今日受けた講義の内容を述べよ」 「…………色々」  それ勉強してないだろって言ったら、してるって言い張ってた。 「にしても、暑いね……」  ほんと、暑い。でも、昼間よりはマシになったかな。昼間、ナオとランチしてた時はめちゃくちゃ暑くて、アイスコーヒーがすぐに氷がなくなっちゃって、味も薄くなっちゃった気がしたくらい。  昼間、友人とランチしてたことは、言いそびれたな。  ナオっていう、同業の子とランチしてたよって。すごい人気の子で、芝くんに次、ナンバーワンの自分はどうですか? って、言って名刺くれたよって。 「あ、ちょっと、待って」  言いそびれた。 「? 芝くん?」  駅の改札を抜けて階段を降りると自販機がある。  その自販機のところに小走りで駆け寄って。 「はい。これ」 「ぇ」 「レモンソーダ」 「……え」 「ねっちゅーしょー対策」  プシュッて清々しい音がして、ペットボトルの蓋が開いた瞬間、甘酸っぱいレモンの香りがした。 「あげる」 「!」  冷たい。少しだけ蓋を緩めたレモンの。 「フツー、レモンスカッシュって言わない?」 「ソーダ」 「えぇ? スカッシュでしょ」 「そもそもスカッシュって何」  知らないけど。でも、言うじゃん。レモンスカッシュって。 「ソーダ。レモンの」  まぁ、そうなんだけど。 「これ、美味いよ」  そうなの? 「!」  勧められて飲んでみると、喉奥にちょっと強すぎる清々しさが走った。  甘くて、酸っぱくて。  けど、ちょっとピールの苦味がある。 「美味い?」 「……うん」 「俺にもちょうだい」 「あ、うん」  手渡すと、夕日を仰ぐように芝くんがペットボトルを口にした。 「……」  喉仏が上下して、レモン色の気泡混じりのソーダが彼の喉を通ってく。  筋肉質で、硬い首は男の俺がぶら下がったって、ちっとも揺らぐことなくてさ。ぎゅってしがみ付いても全然余裕で。 「うま……」 「!」  見惚れてた。 「そんなに喉乾いてたんなら、もう一本、俺が」 「じゃなくて」  半分こじゃないと、ダメでしょとかそんなことじゃなくて。ただ、芝くんと――。 「麻幌さんと間接キス」 「! は、はいっ?」 「って、言ったら焦りそうって思った」 「なっ」  焦るわけないじゃん。キスよりすごいこと昨日だってしたのに。ただ同じペットボトルに口付けたくらいで、意識とかするわけないでしょ。別に、俺の唇はどこも特別なものじゃないんだから。別に、何にだって触れることができる、ただの――。 「あ」  突然、声出して、立ち止まるから、びっくりした。 「? 何?」 「フツー」 「?」 「レモネードって言う」  確かに。 「けど、やっぱ、スカッシュって何」 「いや、レモンソーダだって何でしょ」  レモネードじゃん。言われてみれば。  二人して、ちょっとズレてるって笑うと、日が暮れて、真夏みたいにきつい日差しで熱せらた空気をさらうみたいに風が吹き抜けた。  そして、俺の手元に戻ってきた「レモネード」の残りを飲むと、炭酸が柔らかくなったせいか、レモンの爽やかさよりも、シロップの甘さが舌に、喉奥に、残ってた。

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