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第22話 「お仕事」のキス

 スカッシュって、押し潰すって意味なんだって。  ぺちゃんこにするとか、圧迫するとか。  ほら、レモンの果汁を絞るでしょ? だから、レモンスカッシュ。  そんなことを調べてる途中で部屋には辿り着いた。本当に駅からは近いんだよね。歩いて二分。  まぁ、仕事が仕事なんで、収入はそこそこあるから。 「適当に座ってて。お腹、空いた? デリバリーしようかなって思うんだけど。ピザでいい? それか……ファミレスメニューを。あ、っていうか、暑かったよね。飲みのは……麦茶、で、い、い……」  振り返ると、すぐ後ろに芝くんが立ってた。 「子どもじゃないんだけど」 「ぇ、だっ……」  だって、年齢知らないし。  一応、お酒が飲める歳なのはわかってるけどさ。大人びて見えるけど、でも、たとえば風俗のこととかちっとも知らない感じとか。あと、スレてない感じっていうか、変に小慣れてない感じが、若そうだなぁって。 「二十二」 「え? マジで? 一つ下?」 「……」 「同じ歳くらいだって思ってた」 「たったの一つしか違わない」  そうだけど。  俺が驚いたことが心外だったのか、涼しげな目元をキュッと険しくさせてる。 「へー、いっこ下」 「急に子ども扱いされそう」 「っぷ、しないよ」  するつもりない。けど、そこを気にするところが子どもっぽいと思いますよ、って笑った。  そっか、いっこ下。  あ、でも、そういえば、麻幌「さん」って、呼ぶんだよね。それもあって、なんとなく、年下っぽそうだなぁって感じてたんだ。 「へー、じゃあ、大学、三年かぁ。そろそろ就職とかなんじゃん」  そっか。  三年か。  そして俺はそろそろマジでちゃんと就職活動しないといけない頃だったんだ。四年の夏。じゃ、遅いのかな。わかんないや。もう大学生じゃないから。  あんまり今の生活で接する人に「大学生」がいないから、考えることのない、俺の選ぶべきだたった選択肢の方で進んでた自分を、ふと、想像した。  どっかの選択肢。  オーナーにこの仕事をやらないかって誘われた時かもしれないし、もうセフレでいいやって恋愛を諦めた時かもしれない。どこだったら、そっちの、芝くんと同じ方の道を進めてたのかわかんないけど、そっちの選択肢をちゃんと選んでた場合の自分。 「……へぇ」  映画のことを学んで、きっと険しい道だっただろうけど、映像関係の仕事に就こうと頑張ってた自分。 「…………」 「……麻幌さん」 「!」  まるで冷蔵庫の前で詰め寄られてるみたいな距離感で覗き込まれた。  それに低い声と、触れるように手をこっちへ伸ばして――。 「っ」  キス、されると思った。 「缶チューハイもらってもいい?」 「え? あっ、あぁ……うん」  キス、するんだと思って、心臓、跳ねちゃったじゃん。  けど、芝くんが取ったのは缶チューハイで。  それと同時くらいに、はいはい、そろそろそこの扉を閉めていただけますか? って冷蔵庫が急かすように電子音を奏でた 「それから、これ、今日、お土産」 「え? えぇ、いいのに」 「パン」  すごい気遣い。まるで普通に彼氏が初めて部屋に来たみたい。  お客さんなのに。お土産なんて。 「わ、すご、たくさん。じゃあ、明日の朝一緒に食べようよ」 「……泊まっていいの?」 「え? あっ」  その、泊まってく前提だった。今日、芝くんが来るって聞いて、泊まっていく彼の様子を勝手に頭の中では作り上げてた。 「あっ、いや、どっちでもっ」  ちょっと、顔、熱い。  あぁ、もぉ、泊まってくって思い込んじゃったじゃん。だって、ほら、ホテルじゃ二回とも宿泊にしてたからさ。だから今回も「宿泊」なんだろうって思っちゃったんだ。前の二回と一緒に。 「泊まる。泊まりたい」 「!」 「けど、泊めてもらえると思ってなかったから、歯ブラシとか持ってきてない。着替えは、一応」 「あは、謎の着替えだけ準備」 「セックスした後、シャワーだけは貸してもらえるかなって思って。そしたら、一日中着てた服着たくないから」  あ、セックスは……するんだ。 「あ、確かにー」  って、当たり前じゃん。芝くんはこの身体をセックスの相手として買ってるんだから。 「あ、じゃあ、歯ブラシ買いに行く? デリバリー、頼んで置いて、その間に。すぐ近くにドラストもあるから」 「作るのは?」 「へ? 料理?」 「俺が作る」  そうしても全然いいけどさ。 「あ、じゃあ、明日、うちから大学に」  そこで、嬉しそうに芝くんが笑った。 「っ……ン」  笑って、俺の腰に手を置いて引き寄せると、深く、口付ける。 「ンっ」  さっきキスされるかもって、ドキッとした。けど、キスはされなくて、手に取ったのは缶チューハイだった。  なのに、今、このタイミングで、舌を絡めるような甘くて、濃厚なキスされて。 「ン、はっ、ぁっ」  角度を変えて、もっと深くキスされて。 「ン、ンンっ」  身体がいつもよりも火照った。  昨日よりも、一昨日よりも、ホテルで何度も交わした濃厚なキスよりも、今、俺の部屋で、朝ごはん用のパンもらって、これから買い物行って食材買って、歯ブラシも買って。まるで彼氏がうちに泊まってくみたいな、そんな「お仕事」のキスに、ひどく、やたらと。 「……ン」  身体が火照ってたまらなかった。

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