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第26話 わかってる

 リビングとベッドはスライド式の棚でしきられてるだけ。大きなワンルームになってる。  ふと、目が覚めた。  いつもは、寝てる途中で目が覚めることなんてないんだけど。今日は、早く寝たからかな。芝くんが朝のうちに大学行かないといけなかったし。それに、普段ならさ。ホテルとかで夜、っていうか早朝近くまで仕事してそれから帰宅、シャワー浴びて……ってなるのに、今日はホテルから部屋までっていう移動がなかったから。  だから、いつもよりも早く眠れたせいなのかもしれない。  ふと、目が覚めて――。 「……?」  あれ? って、ちょっと不思議で。  芝くんが一緒に眠ってなかったっけ? って。 「……芝くん?」  帰った、とか? そう思いついて起き上がったら。 「あ、ごめん。起こした?」 「…………ううん」  棚のところに芝くんが座り込んでた。 「寝なくて、平気?」 「大丈夫」  低い声でそう答えて。 「何してんの? ……パンフレット?」 「そう、ごめん。好きに見ていいって、さっき言ってくれたから、マジで好きに読んでた」 「いいよ、全然」 「俺、この映画、教えてもらって観たことあったんだけど、レンタルで借りて観たからさ、パンフレットって読んだことなくて」 「そうなんだ」  言いながら彼が読み耽ってるパンフレットは、俺の大好きな映画のだった。それをまるでリボンを解いたばかりのおもちゃでも目の前に広げてるみたいに、楽しそうに眺めてる。 「楽しい?」  そう訊いたら、パッと顔を上げた。 「楽しいっていうか、懐かしい」 「ふーん、見たのって……」 「中学二年の時」 「……へぇ」  俺の一つ、下だから、そっか。その時には確かに映画館では上映してないよね。 「その映画、お年玉でチケット買って観たんだよねぇ」 「お年玉」 「あ、いま、芝くん、子どもって思った」 「いや」 「一応、こんな仕事してても純粋で無垢な子どもの頃があったんですぅ」  当たり前だけど。  子どもの頃はこういう仕事に就くなんて、これっぽっちも想像してなかった。もちろん自分の恋愛のことも、男運がとっても悪くて、泣くばっかだってことも。  ちっとも。 「麻幌さんは……」  子どもすぎて、大人な自分は想像できなかったけど、でも、きっとそれでもぼんやりと想像していた大人の自分はもっと、普通だったと思う。普通ってなんだろうなんて哲学的なことじゃなくてさ。なんか、なんとなく「フツー」の大人。 「麻幌さん、純粋だけど」 「!」 「笑うと子どもっぽいって思うし」  そんなこと初めて言われた。 「…………っぷ、芝くんの子どもの基準がわかりにくい」  そんなことを言われたのは初めてで、だから、そんなことを言うような人も初めて遭遇した。芝くんがあまりに不思議で、珍しい人で。 「笑った、麻幌さん」 「!」  なんだか、とても「特別」な人に思えた。  朝ご飯にって持ってきてくれたパンはめちゃくちゃ美味しかった。  小さな手のひらサイズの食パンにはドライフルーツがぎっしり入っていて。手に持てばわかるくらいに、安い食パンとは質量が違ってる感じがした。だから、食パンにサラダでけっこうお腹いっぱいで。それに驚くくらいに、ドライフルーツの甘みが感じられるから、ジャムもバターも全然なくて大丈夫。そのまま、焼いただけで充分美味しくて。  ――もう? もっと食べた方がいいよ。だから、麻幌さん細いんだよ。  そう言って、自分のパンをちぎって、一口、俺に食べさせてくれた。  ――ちょっ、そしたら芝くんの分、なくなっちゃうじゃん。  いくつもいくつも千切って俺に食べさせるから、慌ててストップかけた。小さなテーブルを挟んで、向かい合わせで、パンを食べさせてもらってるって、なんかさ、気恥ずかしいし。言わないと全部俺に食べさせようとマジでするんだもん。  お腹破裂しちゃうってばって、押しのけた。 「それじゃあ、大学頑張ってね」 「……ありがと」 「駅まで送るよ?」 「すぐそこ」 「まぁ、そうだけど」  駅から歩いて二分のちょっとお高い賃貸マンションだからね。 「それに、朝の少し寝ぼけた麻幌さん色っぽいから、ダメ、外に出たら」 「! は、はいっ? 何言ってんの?」  そこでクスッと大人びた笑いを口元に浮かべて、玄関先にでゆったりとしたルームウエアを着ている俺の首元をそっと撫でてくれた。  優しい手。  少し芝くんは俺より体温高いんだよね。  触られると、いつもあったかくて、気持ちいい。 「色っぽいじゃん」 「ないない、髪ボサボサだし」 「そんなことない。襲いかかるの我慢してた」 「今朝?」  コクンと頷いた。朝、襲いかかりたかったの? のわりには、パンフレット読み耽ってたじゃん。  それなら、俺も、ちょっと襲い掛かられたかったのに、なんて。  一個年下の相手に、そんなことを考えたりした。 「けど、今日、オフでしょ」 「…………まぁ、そうね」  指先で、肩をつんつんって突かれた感じがした。  誰に? 「じゃあ、行ってきます」  自分に、かな。 「はーい」 「じゃあ、また」 「はーい」  今日は、デリヘルのお仕事はお休みです。三日仕事して休んで、また三日仕事をする。そういうふうになってます。三日、芝くんに買ってもらった。今日は、お休み。  だから、セックスもしないし。  芝くんは俺を買ってないし。  これは、そもそもお仕事だし。 「またね」  この「特別」は残り三日だし。  そう、肩を突かれて、諭された。 「…………」  あと三日経ったら終わるんだからね、って、諭された。そんな気がした。

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