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第34話 最悪、最低

 ――きっと、捨てられるぞ。  そんなこと……ない。  ――風俗で、何人も相手にしてた。  それでも、俺のこと好きって。  ――だから、捨てられるって言ってるんだ。  そうならないし。芝くんは本当に俺のこと――。 「……」  オーナーが投げかけた言葉が頭の中を忙しなくぐるぐる駆け回ってるのを、追いかけて、どかしてたら、駅に着いてた。  少し遅れちゃったからと、駆け足で待ち合わせた改札に向かうと、芝くんが姿勢正しく、そこにいて、俺が来るのを待っててくれてた。  本当に真っ直ぐ背筋を伸ばして立ってるから、ちょっと笑っちゃった。  芝くんが、ふと、ポケットにしまったスマホを取り出して。  俺からのメッセージを読んでくれてる?  ごめん。ちょっと、お店で時間かかっちゃった、ちょっと遅れます。  そうメッセージはお店を出る時に送ったから。  すぐに返事が来てさ。  ――平気?  そう心配してくれてた。急に辞めるって言ったから、トラブルになってるんじゃないかって。  ね? ほら、オーナーが心配するようなこと、ちっともない。  芝くんは俺のこと大事にしてくれるし。  俺に、会いたいって、ちゃんと目を見て言ってくれる。  だから、全然。  全然平気。  っていうか、見惚れてる場合じゃないでしょ。待たせてるんだから、早く行かないと――。 「芝くん!」 「!」  俺が名前を呼ぼうとしたのとほぼ同いタイミングだった。もっと高くて澄んでいて、人がごちゃごちゃに行き交う中でもよく通る声が芝くんを呼んだ。 「芝くんじゃん!」  大学の、友だち?  女の子。 「今日、早めに上がるって言ってなかったっけ? 編集、終わらなかったんだ。ごめん」 「……いや、いいよ。明日やる」 「でも、明日撮影演習なかった?」  編集、って、撮影って、今、言った? 「っていうか、課題早めに切り上げて、何か用事?」 「……まぁ」 「あ、もしかして、あの監督の企画上映? もしくは、あの噂の先輩の?」  何、噂って。 「まぁ、噂だろうけどねぇ。それに、あの映像科にいた山本先生、すっごいじゃん? 今はプロデューサーでしょ? 大手と、とか話あるし。」  今、何。 「色目使って、近道できるならって思わなくもないけど」  それって、俺……の、こと……だよ、ね。 「あはは、冗談だよー。そう上手くいくわけないし。そこまでしたくないし。まぁ、そういうの本当にやる人もいるかもって話でさぁ」  その名前に、喉奥が焼けただれたみたいにヒリヒリした。  山本。  俺がぶん殴った、あの講師の名前だったから。 「って、ごめん! 私、これから用事があるんだっ、ごめんね! 立ち話しちゃって。また明日! 一限目、技術合同演習なんだから遅刻しないでねっ」  あぁ、なんだ。  ――きっと、捨てられるぞ。  ねぇ、さっき追い払ったのに。  またオーナーの言葉が頭の中をぐるぐる駆け回り出したじゃん。っていうか、オーナーの言ってたこと、あってたし。 「芝くん」  さっきの子とは真逆。低くて、掠れてて、こんなに賑やかでごちゃごちゃに人が行き交ってる駅前じゃ、聞こえないだろう自分の声。でも、聞こえないどころか、異質すぎて、逆によく聞こえたみたいで、芝くんがパッとこっちに振り返った。  焦るよね。  そりゃ。  裏側、今、見られたかもって思ったでしょ? 「ぁ、麻幌、さん」 「楽しかった?」 「?」 「俺のことからかって、落として、騙されてるとも知らずに一喜一憂して嬉しそうにしてるとこ見て、楽しかった?」 「何……」 「何じゃないじゃん! 今、言ってたじゃん! 俺と同じ大学行って、知ってたんでしょ? 何がしたかったわけ? 風俗落ちしたバカってどんなだろうって思った?」 「ちょっ」  あーあ、もう数時間早く、これ知りたかった。そしたら、蹴り飛ばしてむしゃくしゃしながら、明日から仕事頑張ろうってなれたのに。  辞めるって言っちゃったじゃん。  芝くんはそんなことしないとか啖呵まで切ってさ。  かっこわる。  最悪。  ……最低。 「ふざけんな……」  ね? ほら。  やっぱり。  男運、最悪最低。 「ふざ、けんなっ!」  ね? ほら。  やっぱり。  選択肢間違えた。  芝くんと付き合うって方を選んで。仕事辞めるって方を選択して。はい、この結末。 「ちょっ、麻幌さんっ!」  最悪、最低なゴール。 「麻幌さんっ」  なんで、いつも間違えるんだろ。  ほんと、バカなんじゃないの?  毎回毎回。 「麻幌っ!」 「! ちょ、離せっ」  抱き上げられて、足、地面に着いてないんだけど。 「ふざけんなっ、離せっ」 「あの合宿っ、麻幌さんが持ってきた映画が一番怖かった! 映画のタイトルも覚えてる!」 「は?」  そう言って、芝くんがでかい声で言い放ったタイトルは、確かに、俺が、あの夏合宿で持って行ったホラー映画のタイトルだった。 「一度だけ、麻幌さんからおすすめの映画を借りたことがあった! 一日で何回も観て! 色々感想書いたけど、緊張して、渡せなかった! 貸したの、覚えてる? いつも、視聴覚室の端にいた一個下」 「……」 「俺が勧めた映画を見てもらったことがあった! イタリア映画ので、イタリア語が聞き慣れてなくて、字幕に集中できなかったって言われた!」 「……」 「あと、まだあるっ、麻幌さんと話したこと。貴方はあんまり覚えてないかもしれないけど」 「……」  イタリア映画は、正直、覚えてなかった。おすすめの映画を……一度……彼に貸してあげたのを、覚えてる。  いつも視聴覚室の端、廊下側の一番後の席に座っていた、一個下の男の子。  俺は、その男の子に――。  ――すっ、好きですっ!  そう、告白、されたことがあった。 「俺は、一度、貴方に告白したことがあった」  真面目そうな、おとなしい子。 「断られたけど」  あまりに突然でびっくりしたのを覚えてる。同性を好きになるタイプだったことにも、その対象が俺だったことにも、すごく驚いたっけ。  そして、いつだって選択肢を選び間違える俺は、彼の告白を断っちゃった。 「俺は、あの時の一個下だよ」  けど、ずっと、ずーっと、考えてた。 「ずっと、貴方が好きで、ずっと追いかけてたんだ」  あの時、あの真面目そうな子の気持ちに答えていたら、違ってたのかもしれないって。  あんなに真っ直ぐ、一生懸命に告白してくれた彼と付き合っていたら、全然、違ってたんじゃないかって。ずっと。 「ずっと前から今も、ずっと、好きだったんだ」  そう、思ってた。

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