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第35話 君に頷く
「ちょっ、ねぇ、とりあえずっ、下ろしてって。俺、地面に足、着いてないっ」
「……」
「っ、逃げたりしないから」
いや、別に俺は何も悪いことなんてしてないから、逃げるって単語、合ってないんだけど。むしろ、人のことからかって、弄んでるそっちの方が断然悪いんだけど。
なのに、捕まえるように俺のことを抱き上げるから、なんか、俺が逃げてるところ捕まえられたみたいになってさ。
悪いのは、そっちなのに。
「……わかった」
そう、低い声が呟いて、そっと、地面に下ろしてもらった。
駅前で、男が抱き上げられてるって、何? って思うじゃん。行き交う人たちも、興味ありませんって顔しながらも、チラチラってこっちを伺いながら、何人も通り過ぎてく。
「…………」
降ろしてはもらったけど。
けど、手は掴まれたまま。
「…………その」
じっと見つめられて、なんで俺が居心地悪くなんなくちゃいけないわけ?
「一個下って……」
「貴方と同じ、映画研究部にいたよ」
「高校の?」
「そう芝、明隆(あきたか)」
「……」
「多分、名前も覚えてないかも。話しかけたことも、ほとんどないから」
映画鑑賞にスクリーンが必要だったから、活動拠点は視聴覚室だった。三階の奥にある教室で、あんまり陽が入らなくて、冬は寒くて。けど、いつも一個下の男子が早めに来て暖房付けてくれてたから、あったかかった。
少し埃っぽい気がする暖かい教室で、一人、ぽつんって、その一個下の彼がすでに座ってる。いつもそうだった。
廊下側の一番奥の机に。
夏も、彼はいつもそこにいて、先に来ては冷房をつけて教室を冷やしてくれてた。
いつも俯きがちで、前髪が長いから、顔がよく見えなくて。
――あの……カーテン、閉めます。
声は澄んでいて、もうみんな声変わりだってしてるはずなのに、彼の声だけボーイソプラノみたいに綺麗だったのは、覚えてる。
「……アキ」
「!」
あまりに綺麗な声だから、男子っぽくなくて、そんなふうに呼んだことがあった……気がする。
アキくん、カーテンいつもありがと。
そう、言った……気がした。
「そう、アキ、だよ」
「……」
そんな彼に、告白してもらった。
つっかえながら、告白してもらったことがあった。
一度だけ。
そんなふうに思ってもらえてたとか、全然わからなくてすごく驚いたのは、よく覚えてる。あと、あまりに不器用で真っ直ぐな告白でさ。そんなふうに好きって言われたことがなかったから、新鮮で。胸の内にとても長く残り続けてたのも――。
「軽くあしらわれたけど」
「は、はい? 俺が?」
「ごめんね。付き合ってる人がいるからって、笑顔で」
そう、だっけ。
「彼氏」
そうだったっけ。
「そん時は映画研究部によく来てた、地元で有名だったサッカー選手。ああいうのが好みなんだって思って。だから、麻幌さんの好みのタイプになろうとそっから頑張った」
彼氏、じゃなかったけどね。ただの二股最低男だったけど。
「で、追いかけて大学入ったら、麻幌さん辞めた後だったし」
「!」
「もう追いかける方法わからないと諦めてたら、あの噂を聞いた」
それが、さっきのあの、噂。
「俺は、ラッキーって思った」
「!」
「たったひとつの手がかりだったから」
「……あれ、が?」
コクンと頷いてる。
「ショックとか、汚いとか、思わなかったの?」
「そんなの考えてる余裕ない。麻幌さんを見つけられる唯一の手がかりなんだから。急いで、ここの駅に通ったんだ」
「通ったの? わざわざ?」
コクン、って。
「人が多くて、もう何年も見てないから、どんなふうなのかわかんないかもって、焦ってたら、声、聞こえた」
その声に振り返ったら、俺が客と揉めてた。いや、揉めてるっていうほど、言い争ってたわけじゃない。話してる内容がアレだったし、普通の声だったと思う。
けど、その声が、湿気と人の熱気が混ぜ込まれた、決して心地良いとは言えない夏の風に乗って、芝くんの耳に届いた。
「見つけた! って思った」
―― 二十万。
そう言って、知らない人が俺とその時のお客さんの間に割って入ったっけ。
―― 二十万じゃ、低い? なら、三十万。
まるでオークションみたいに、こっちが提示したらもっと、いくらでも出しそうで驚いたんだよ。
「っぷ」
「っ、なんでそこで笑う」
「だって」
こんなの、笑っちゃうじゃん。
「あの時さ」
君のことを思い出してた。
思い出すほどの接点があったわけじゃない、ただの一つ年下の男の子のこと。同じ映画研究部で、おとなしくて、ちっとも好みじゃなくて、あ、好みじゃないって言っても、あの時の俺に素敵な恋愛観なんてなくて、あったのはうわっ面だけの軽くてふわふわな恋愛観だったけど。
ほとんど話したことのない、後輩くんがしてくれた、告白のことを、思い出してた。
「あの時」
「?」
「アキくんのこと、思い出してたから」
「!」
高い、ボーイソプラノみたいに澄んだ声が、つっかえながらしてくれた、真っ直ぐな告白。
あの時、頷いていたら、こんなじゃなかったのかもしれないって。
そっちを選んでいたら、今、ここにいなかったかもしれないって。
「ね、ちょっと、お願いがあるんだ」
「?」
「好きって、言ってって、言ったらさ、」
「好きです」
「!」
あの時みたいに真っ直ぐな告白。声はずいぶん変わって、低くて、男の人って感じになったけど。でも、あの時のまま、真っ直ぐに胸に届く言葉。
「はい」
「ぇ?」
「はい。俺も、好きです」
あの時、彼に答える、君に頷く、その選択肢を選びたかったなぁって。
「よろしくお願いします」
「!」
「ちょ、待っ、だからっ、なんでまた抱っこ! 降ろしてよっ、目立つっじゃんっ」
「無理っ」
「ちょ、芝くん、ねぇ、アキくん」
「無理」
そう思ったんだ。君に頷いていたら、俺って幸せになれてたかもしれないって、思ってたんだ。
「降ろしてってばっ」
「無理っ」
君の告白に、頷きたかったって。
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