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第43話 明隆視点 落ちてきた

 映画の話をしてる時のあの人は、特別綺麗で。  恋愛に疎くて、平凡でどこにでもいそうな男子高校生一人を一瞬で、恋愛のことで頭をいっぱいにさせられるくらいには綺麗で。  ――あのシーン! すっごあったまいいって思った!  どこにでもいそうな男子高校生の頭の中を恋愛でいっぱいにさせて、その人を追いかけるためにジムにだって通わせるし。進路だって決めさせる。  いとも簡単に、人ひとり、変身させることができる。  そのくらい綺麗な人、なんだ。  貴方を追いかけて映画の大学に行きました。  なんて言ったら、驚くだろうか。  ちょっと怖がられそうだから、言えないし、言ったら、なんか、あの人は逃げそうだから。  少し臆病な人だから。  臆病で寒しがり屋だと思うから。 「……明日も明後日も埋まってるし……」  つまり、明日も明後日も、あの人は誰かに抱かれるってことだ。 「……うらやま……」  思わず、ぼそっと独り言が溢れた。  麻幌先輩の働いてる店を教えてもらった。  俺の名前を言ったけど、まぁ、覚えてなくて。  覚えてもらえてるとも思わなかったけど。  話したことなんてほとんどないし。学年違ってるし。あの人の周りにはいつも誰かがいたから、チビでおとなしかった俺は視界にすら入れてなかったと思う。  あの人を次に買えるのは……明々後日は、休みじゃん。  じゃあその次の日だ。  夕方から。  こんな時間まで働いてんの? 真夜中じゃん。あぶな。  別にあの人が誰かに買われるのが腹立つとかはない。今まで、ずっと彼氏がいる麻幌先輩を好きでいたから。あの人が誰かといることに苛立ったりはしない。  そりゃ、あの人を独り占めできるのは羨ましいし、最高って思うけど。  雲の上の存在っていうか。 「……」  名前の入力か…………さすがに「しば」って入れれば、俺だってわかるだろ。  びっくりすんのかな。  今、夕方。そろそろ。予約の最初の時間帯になる。じゃあ、もうすでに誰かといんのかな。  これを見るのは、その後、なのかな。  知らない。  わからないことだらけだけど。 「……」  全部、買い占めた。明々後日の次の日のあの人を、全部。 「芝くん? 何笑ってんの?」 「……別に」  独り占め、できた。 「なんでもない」  百回くらいは、「ヤバい」って頭の中で言ったと思う。 「運動神経いいんだね。芝くんは」  麻幌先輩と一緒にいるって。  麻幌先輩が俺の名前を呼んでるって。  予約した後、調べたんだ。デートスポット的な。デートだってしたことのない俺はネットサーフィンしまくって、色々調べて。 「麻幌さんは」  信じられないんだけど。 「あんま運動好きじゃない?」  今、俺がここにいる。あの時、ずっと見てるしかできなかった麻幌先輩の隣に俺がいる。 「ど、かなぁ。あんま、スポーツってしなかったんだよね。部活も映画研究部」  あ。 「放課後に誰かしらが持ち寄った映画を観る、っていうだけの部活。すごいでしょ? あ、この人、俺と好み一緒かもっとか思いつつ、映画を観て、下校するのが活動内容。感想言い合ったりとかもしないし。文化系の部活しかしなったからなぁ。運動って言ったら体育の授業くらい?」  こそばゆい。俺はその中にいたんだって思うと。  今、麻幌先輩が話した中に俺はいたんだ。映画研究部の一番後の席、廊下側に。 「あは。だから運動はあんまかな。っていうか芝くんは? 相当、やってたでしょ? サッカーとかバスケとか。なんかモテそうなスポーツ」 「……全然」 「えぇ? そんなわけないでしょー」 「ほんとに全然」  俺、ちゃんと、知らないふりできてんのかな。顔、ちゃんと作らないと。 「で、でも鍛えてるでしょっ、ジムとかさ」 「……いや、まぁ、それは」 「ほらっ! やっぱなっ」  ジムは行ってる。おかげでそれなりに筋肉ついて、あの頃の面影ゼロにできた。 「着痩せして見えるから、あんま服着てるとわかんないけどっ、さっ、筋肉すごいじゃんっ。絶対にジムとか行ってると思って……た」  貴方の好みになりたかったんだ。  少し、悪そうで、少し、強引なところがあるような、そんな貴方の好きな男に。 「あ……え、と」  貴方に気に入られたくて。  貴方に好かれたくて。 「……ぁ、と」  次に、貴方に会えたら、もう一度、好きですって伝えたくて。追いかけてきたんだ。 「……ぁ」  やっと、見つけた。 「今日は、麻幌さん楽しかった?」 「え? あ、うん」  やっと、捕まえた。 「そろそろ帰ろうか」 「え?」 「明日、筋肉痛になんなければいいけど」 「え、あ、えと……」  今日の麻幌さんの時間全部買った。だから、今日は、誰も貴方とセックスできない。  はぁ。  ちょっと、笑う。  誰だっけ? 数時間前に、麻幌先輩が誰かに買われるのが腹立つとかはないって言ってたの。  あの人が誰かといることに苛立ったりはしないって。  あの人を独り占めできるのは羨ましいけど、雲の上の人だから、そこまで烏滸がましいことは考えてないって、思ってたの。 「あ、あのっ」  あの時。  大学まで追いかけていって、この人がいるはずの学科を訪れた時。  ―― まぁ、顔綺麗だったから、それで大学もコネで入ったんじゃん? 風俗落ちって、そんな怖い顔すんなよ。  怖い顔、してた?  ショック通り越して、意味、わかんなかったけど。「落ち」って単語に、胸が弾んだんだ。  雲の上の人だったから。 「あの、しないの?」  落ちたなら、俺のいる、平凡な俺のいる、この地上に落ちて来てくれたってことでさ。 「このあと」  俺でも、本当に捕まえられるんじゃないかって。 「しない予定だったけど」 「……ぇ、じゃあ、なんで」  俺なんかでも、貴方を捕まえて。 「丸ごと買わないと、貴方、セックスしないといけないじゃん」  触れて。 「この前、しんどそうだったから」  その隣を陣取って。 「それに、この間の三十万受け取ってもらってないし」  貴方のことを、ちょっとくらい。 「だから、とりあえず今日の貴方を買った」  ほんのちょっとくらいなら。 「けど」  ――一年生? 「セックス」  ――どうぞー。 「してもいいなら、したいけど?」  ―― 俺、この監督の映画が好きでさぁ。 「貴方とセックス」  ―― ごめんね。静かに観たい、よね。 「したいけど?」  あの時、目の前に現れた高嶺の花が落ちてきてくれたのなら、触れられるんじゃないかって、ちょっと、嬉しかったんだ。

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