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第48話 忙しい朝
好きって、単語をこんな気持ちで言ったのって、いつぶり?
恋をしているって、胸が躍ったのって、いつぶりだっけ?
「麻幌さん、今日って、また来てもいい?」
「もちろん」
あ、今日も、会えるんだ。
そっか。
来てもいい? ってことは、来て、帰るのかな。
泊まってけば?
そう思ったけど、ちょっとワンテンポ遅れて言えなかった。すぐに言えば自然だったけど、ふと、考えちゃって、間が空いちゃった。
泊まってく? の?
泊まってくんでしょ? って、なんか強引?
泊まってけば? じゃ、可愛げないでしょ?
泊まっていきなよ、は?
そんなふうに一瞬、頭の中でパパパって言葉がたくさん溢れて、間が空いた。
あー、でも、アキくんにも都合があって、大学の用事とか、大学の友だちとか、そういうので、今日泊まりはちょっと……だった時に断りにくいかもしれないよね? 俺も大学行ってた頃はけっこう遊んでたもん。毎日とは行かなくても、飲み会けっこう参加してたし、飲み会なくても、映画評論会みたいなのも参加してたりしてさ。忙しくしてたっけ。
だから、断られるかもよ? ここんとこずっと一緒じゃん。アキくんだって俺ばっか構ってらんないでしょ。
そんなことを、靴を履いてるアキくんのつむじを見ながら考えてた。
でもさ、大学終わった後、ここには来てくれるんだし。
「何か買ってきた方がいいもの、ある?」
「ん、へーき……たぶん」
あ。
なんかこういう会話、好きかも。
日常っぽくてさ、こう言うのって恋人って感じしない? 今まで付き合ったのって、ちゃんとした恋人じゃなかったから、なんか、こういうの、実はあんまなかったんだよね。
会って、セックスして、少し休んで、それじゃあ、また、って言うのがいつもだったからさ。
もちろん、あの仕事をするようになったら、こういう会話なんて皆無だし。
だから、セックスだけはたくさんしたけど、恋愛に関してはど素人レベルで。
そっか。恋人となら、ただの日常会話も嬉しいし、気持ちいいとかあるんだ。
指先がふわふわしてる感じ。
気持ちが柔らかくなるって言うかさ。
満たされる感じがする。
「……平気?」
「?」
「ふわふわしてる。麻幌さん」
「ん、だって、今朝まで」
してたじゃん。セックス。甘くて美味しいのを、してたじゃん。だから、まだ、なんか。
「そーだね」
靴を履き終えて、立ち上がったアキくん。
こういうとこ、真面目なアキくんが残ってる感じがする。制服だって、俺みたいに着崩すことなく、新品みたいにいつもちゃんと着てた一個下のアキくん。だから靴もちゃんと紐を結び直すんだよね。あんまり意識して見てなかったけど、そういうのをちゃんとしてるとこは、変わってない感じがする。
アキくんが残ってる感じ。
背は、ずいぶん伸びたけどさ。
「ン……んっ」
高校生の俺より背、低かったのに。
腕だって細くて、背中だって小さかったのに。
背は高くなっちゃったし。
腕なんて、筋肉すごくて引き締まってて、腹筋だって割れちゃって。
俺のこと抱えられちゃうし。
キス、だって、とろけるくらいに気持ちいいしさ。
「……ン」
育ち、すぎじゃない?
「買ってこなくて、いい? ゴムとか」
「! そ、そんなには使ってない! でしょ」
「そ?」
ほんと、育ちすぎでしょ。
目線が今、ちょうど同じ。フロアにいる俺と、玄関タイルのところに立ってるアキくんで背の高低差とフロアとの高低差がちょうどゼロになって、視線がちょうど同じとこ。だから真っ直ぐ見つめられると威力がすごくて、困る
「けど、もうなくなるでしょ」
悪戯っぽく言われて、くすぐったかった。この数日で使い切っちゃいそうなくらい、たった一人とだけしまくってるって、変に意識しちゃうじゃん。
アキくんとだけしてるんだって。
「昨日、すごい使ったし、今朝も使った」
「!」
なんか、困るようなことなんてないはずなのにさ、困るんですけど。
「だから、今日は薬局寄ってから来るよ」
「……っ」
っていうかさ、俺が買って来れば良くない? すぐそこなんだし。そしたら、アキくん、大学終わってここに来るまで手間ないじゃん。
っていうか、そしたら、早く会えるし。
ね。
早く会いたい、とか。
俺が買っておくから早く来てとか。
言う?
え? このタイミング? 今? ほら、また変に間が空いて言うタイミングがわかんなくなったじゃん。
「な、なに? じっと見て」
アキくんがちょっと口元を緩めながら俺を眺めてて、やっぱ、水平ラインにあるその瞳にさえ俺はドキマギしてる。
「なんでも、じゃあ、また」
「っ、あっ」
もう、俺ってここまで不器用だったっけ。
「?」
「い」
話すのは得意だったはずなんだけどな。ペラペラペラペラ、よくしゃべるほうだったんだけど。
なのにアキくんといると、訊きたいこと訊くタイミングは逃すし。言いたいことをどう言おうかめちゃくちゃ考えちゃってるし。
「?」
「行って、らっしゃい」
これ一つ言うだけでも、狼狽えてるし。
「……行ってきます」
恋愛ってくすぐったくて、悩ましい。
「ね、麻幌さん」
「?」
「帰ってきたら、おかえりって、言ってね」
「! ほ、ほら、電車行っちゃうってば」
「うん」
恋って、君がくれる言葉一つに、一瞬見せてくれる表情に、胸が躍って、忙しい。
「行ってきます。あ、あと、泊まるから朝飯も買って来るよ。パンでいい?」
ね?
「っ、ほらっ、早くっ、電車行っちゃうよ。パンでいいからっ、行ってらっしゃい」
忙しい。
君が玄関を開けて、行っちゃった後も、ほら。
「…………何、行っちゃったって、甘ったれじゃん」
一人になった部屋で、玄関先にしゃがみ込んで、熱いほっぺたを手で冷やしたりした。
そっか。
今日は来て、帰るんじゃなくて、泊まってくんだ。
そうですか。
了解。
「あー、もうっ」
泊まっていくんだって。ただ、そのこと一つに気持ちは大はしゃぎで、ほっぺた熱くて、なんか、とっても忙しいくて、口元が緩んでそうで照れ臭かった。
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