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第56話 上等な男
やっぱり映像編集の求人なんてそんなに上手く転がってるわけなくて。
かといって、映画の勉強しかしてなくて、その映画の大学も途中で辞めちゃって、そこからは夜職とは書けないから、フリーターっていうことにしてる。けど、フリーターも印象は良くないでしょ。
だから経歴的に不利ばっか。履歴書から受けた印象もきっとそんなに良くなくて。
最近は働き手不足って言われてるらしいけど、なかなか……ね。
どうかな。
今日面接したとこ。倉庫での商品整理の仕事。映画には全く関係ない仕事だけど、でも背に腹は……でしょ。引っ越しもしないと、かな。収入ガタッと落ちるし。
でも、不思議と溜め息は出なかった。
むしろ、夜職してた時の方が断然溜め息が出てた。
今は仕事も探さないとだし、収入途絶えちゃってるし。プラス、履歴書の見栄えの悪さもすごいんだけど。なんか気持ちはふわりと軽くて。
一社、面接が終わって、駅で電車を待ちながら、絵画みたいな入道雲を見上げた。
あっついなぁって思いながら。
どっか虹が生えそうなとこないかなぁってスマホを眺めながら。
不思議、だなぁって。
あの仕事、嫌いじゃなかったよ。
強制的にやらされてたわけじゃない。自分で決めた仕事だった。
気持ちいいこと好きだったし。恋愛は見つけられないって思って、セフレと気軽な関係でいいやってなってた頃も、気持ちの伴わない行為は似たようなものだったし。
でも、気持ちよかった? って今、訊かれたら、俺は、ちょっと――。
「……!」
答えに迷う。
「よ」
「……オーナー」
「元気だったか?」
マンションに辿り着いたら、オーナーがいた。
何度か、オーナーに送迎してもらったことあるから。
「インターホン鳴らしたけど、いなかったから待ってた」
「……」
「電話してもよかったんだけどな」
「……」
「どうだ? 夜職抜けた生活は」
「……まぁ」
エントランスの手前に階段が三段あって、そこにオーナーが腰を下ろしてた。たっかいスーツなのに、そんなとこ座り込んだら汚れちゃうじゃん。
タバコは吸わないんだよね。お酒も飲まないの。すっごい飲みそうな顔してるのに、アルコールは身体に合わないんだって。それがきっかけでおしゃべりしたんだ。
ハッテン場で見かけて、かっこいいなぁって思って。何飲んでるの? って、常套句で話しかけたら、ジンジャーエール、って答えるから、「え?」って聞き返しちゃった。だって、スパークリングワインでも飲んでるんだろうなぁってくらい、カウンターにいたオーナーは上等な男に見えたから。
「今は何の仕事してるんだ?」
「……今、探してる」
「難航中か」
「うん」
「まぁ……だろうな」
「……」
話しかけたら、すごく楽しくて。もちろん、その夜の相手はこの人がいいなぁって思った。
「面接の帰り?」
「うん」
服装でわかる、かな。ワイシャツにパンツ。スーツまではいかないけど、ちゃんとした格好してるから。
「どんな?」
「倉庫での商品管理とか、そういう仕事」
「……まぁ、ありきたりだな」
「……」
「うちで働いてみるか?」
「!」
「そっちじゃない」
そう言って、オーナーが苦笑いをこぼした。てっきり、またキャストにって言ってるんだと思って、俺がちょっと身構えたから。
「経理」
「え」
「普段は俺がやってるんだが、経理の仕事。それからキャストのスケジュール管理。これは人事とかに使えるだろ」
「あの」
「事務仕事の経験って、一個、履歴書に有効なことが書けるぞ。倉庫の仕事じゃ、そこから時給上げてくの大変だろ。正社員になるのも難しいだろうし」
「でも」
「まぁ、給料はキャストしてた頃程は出せないけど、まぁまぁ、普通の正社員くらいには出せるぞ」
「ねぇっ、なんで、そんな」
突然辞めて、迷惑かけたでしょ?
ほぼドタキャンじゃん。そのキャストは性病にかかってしまったので、とか言えば、お客さんは怒るどころか、自分から率先してキャンセル登録するだろうけどさ。性病になったキャストがいた店って、ダメージ受けちゃうじゃん。だからどっちにしてもきっと迷惑にしかなってないのに。
ねぇ、何でって身を乗り出した時だった。
「そんなの……」
そう、オーナーが低い声でポツリと答えたところで。
「麻幌!」
アキくん、だった。
「麻幌、大丈夫か?」
「ぁ、えと」
「あんた、誰だ。麻幌に何か」
「あの、アキくん」
背中に俺のことを隠して、オーナーを睨みつけてる横顔は、きつく怒った顔をしてる。
「もう前の仕事は辞めてる。付きまとうなら警察呼ぶぞ」
「あのっ、アキくんってば」
「おい、あんたっ」
「あ、アキくん、オーナーだよ。お店の」
「……え?」
「お客さんじゃなくて、オーナー。その、仕事見つかったか? って、心配してくれただけ」
「えっ!」
「まぁ、そういうことだ。シバくん」
「!」
オーナーはからかうように、「シバくん」のところだけ、声のトーンを一つ上げて、ゆっくりとその名前を呼んだ。名前は、ほら、予約の時に見てるから、知ってるんだよね。
「ご、ごめんっ、麻幌さんっ」
そこでオーナーが立ち上がった。たっかいスーツで座り込んじゃったりしたから、お尻のとこの砂埃をぱんぱんと手で払って。
「考えてみてくれ」
階段を革靴の軽やかな足音を立てながら、降りて。
「それから、麻幌」
「!」
「まだ、続いてたんだな」
あの時、ジンジャーエールだよって答えた時と同じように笑いながら。
「恋人」
どうせ続かないぞって言われた。
「うん」
そんなことないって言って、こっちを選んだ。あの仕事を辞めて、収入減ってもいいから、アキくんを。
「続いてるよ」
俺は、選んだよ。
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