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第61話 豚丼と俺

 仕事を始めてしばらく経った頃には、けっこう一人でできるようになって来てた。要領は悪くないほう……だと思うんだよね。  まぁ、要領がよくないと務まらない仕事してたから。 「すみませーん、この伝票、多分、ここのフロアのかと……」 「……」  あ、この人、初日に構内のことがわからなくて声かけた人だ。  へぇ、ここの人だったんだ。お隣さんだ。 「……ども」  ぶっきらぼうな感じ。首だけカクンと曲げて、挨拶をすると俺が持ってきた伝票をピュッて手から取ってっちゃった。背が高いのに、俯きがちなせいで顔がよく見えない。こんなに身長あるんだから、シャキッとしてればいいのに。  もったいないなぁ。  なんて、新人に言われたくはないだろうけどさ。 「あ、陽野くん、いたいた」 「は、はいっ」  いきなり背後から声をかけられて飛び上がりながら振り返ると、エリア主任の人がいた。 「ごめんごめん、あのさ、悪いんだけど、配送のヘルプいけないかな」 「配送、ですか?」 「今日、配送担当が休んじゃって、ほか、代わりいないんだ」 「いいです、けど」 「本当? 助かるよ! 君が担当してるとこは他が担当するから。よろしく。ここね。下のこの番号の車路に行ってもらえる?」 「あ、はーい」  へぇ、配送もやったりするんだ。  やること多いな、なんて思いながら、今さっき話しかけてた、「あっち」ってぶっきらぼうに言う彼のほうに振り返ったけど。もう彼はそこにいなくて、忽然とその姿は消えていた。  配送って、常に人足りてないんだよねぇ、って、ドライバー担当の人が教えてくれた。基本は二人体制。けど、なかなか二人体制で配送してるところは少ないから、ここの会社は「優良」な方だって教えてくれたけど。 「は、ぁぁぁぁぁ…………ぁぁ……」  そりゃ、人、足りてないでしょ。 「…………疲れた」  めちゃくちゃ疲れた。もう足だけじゃなくて手も動かしたくない。両手両足、何十キロって重しがぶら下がってるんじゃない? って思うくらいに重くて、重くて。 「……大丈夫?」  あ、でも、アキくんに頭を撫でられて、ちょっとだけ、多分、五キロくらい、今、両手両足の重しが取れた。 「飯、食べられそう?」 「ん、お腹、ぺこぺこ、です」 「オッケー」  ほら、今度は髪にキスしてもらえて、また、五キロくらい、重しが取れてく。  配送はトラックで移動してる間、ずっとエアコンの効いた助手席に座ってられるから、倉庫での仕分け作業組よりも楽じゃん? なんて思っちゃったけど、大違いだった。次の中間倉庫へ到着したら、フォークリフトまで物品を載せたり、下ろしたり……とにかく急がないといけなくて、汗だくになってた。  仕事を終えて帰ってきて、とにかくベッドに飛び込んだ。  アキくんが昨日と同じように駅のところで待っていてくれて。その顔を見た瞬間ホッとしちゃった。 「今日は材料買ってきたんだ。キッチン使っていい?」 「マジでありがと。材料……マジで」  もう何を喋ってるのか訳わかんない俺の返事に笑いながら「いいよ」って言ってくれる。  今日は豚丼作ってくれるんだって。美味しそ。疲れた時には豚肉がいいんだそうです。ご飯の上に乗せて食べちゃうから疲れてる時も楽に食べられるよって。  あ、いい匂いしてきた。  美味しそー。  そして、ほら、ベッドに突っ伏すように寝転がった俺の両手両足がまたどんどん軽くなっていく。 「っていうか、今日はいつも以上に疲れてない?」 「んー……今日はいつもと仕事違っててさ。配送のほう担当だったんだよね」 「え? 仕分けじゃなくて?」 「そ、配送の人がいなくて」 「それって、平気?」 「?」  仕事募集の時に載せてる仕事内容と違ってるでしょ。基本そういうのってしちゃいけなくて、仕事募集に載せた内容の仕事以外ってさ、そう言って心配してくれてる。  まぁ、確かに求人内容にはなかった仕事ではあるけどさ。 「何も、麻幌さんにその仕事振らなくても、麻幌さんがガチムチならまだしも」 「っぷ、あは」 「笑い事じゃなくてさ」  心配顔をしてベッドの脇に腰を下ろしてくれる。また優しく、俺の、ちょっとパサついちゃった髪を撫でてくれて。一日帽子被っててるけど、屋外だったからかな。埃っぽくて、あと、汗もかいたし。 「平気だよ」  っぷ、あは。平気じゃないでしょって、顔が言ってる。整ったイケメン顔なのに、眉をぎゅっと寄せて、口をへの字に曲げて。 「本当に平気」  ちょっと疲れたけど。 「アキくんの豚丼で回復できるし。ていうか、アキくんこそ、毎日、俺んとこ来てて平気? 大学は?」 「夏休み」 「あ、そっか」 「だから全然、余裕でなんでもできる。っていうか、俺も、麻幌さんと同じとこでバイトしようかな。短期とかありそうじゃん」 「あは、それマジでいいかも。けど、課題とかけっこう出るでしょ? 大学。俺、夏休みほぼ課題で潰れてたよ?」  ほら、図星だった。映画をいくつも見て、それに対する技法のレポートとかさ。けっこうな量の課題が出るんだよね。この時期は一般教科も、ここぞとばかりに課題を放出してくるし。 「学生なんだから勉強頑張って。むしろ、こうしてフォローしてもらえるだけで最高です。アキくんがいるだけでけっこうテンションも上がって、疲れも軽減するんで」 「!」 「ありがと」  そっとキスをした。とろける甘いやつ。 「あの、麻幌さん」 「?」 「その、一応、抑えてるんで」 「……」 「その」  ちょっとムラッとしちゃうような、とろりとしたキス。 「豚丼にしますか? それとも俺にしますか?」 「っ、あのさ、麻幌さんが疲れてる時にそんなんっ」 「疲れナントカかな。あと、アキくんが触ると重しが五キロずつなくなってくんで」 「重し? 五キロ?」  そこで真面目に考え込んでくれるのが愛おしくて、なんでもないよって笑いながら、アキくんの逞しい首にしがみついた。  もうこの頃には両手両足にぶら下がってた重しはほとんどなくなって、あるのはアキくんの体温に触れたいなってうずうずしてる火照りだった。

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