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第66話 チクチク

 今までの自分の選んできた選択肢のほとんどが結果間違えだったって、毎回、後々思う。  でも、その選択肢を選んでる時は、それが間違えるかどうかなんてわからないじゃん。だからどうしようもなくて。  あっち選んでたら、違ってたのかなぁって思うことは多々あるけど、過去は変えられないし、未来を知ることもできないから。  せめて、後悔はしないように。溜め息は出ちゃうだろうけど、それでも、取り消しとか中止とかできない自分の選んだ道を背中丸めて進むことはしないようにって――。 「あ、あいつ? ほら」  そんな声がちらっと耳に届いた。  それからさりげなく俯いて、帽子で顔があんまり見えないように。  世間って広いようでけっこう狭くて。顔出し、してたからさ。お店のホームページに。  ここの倉庫って何人くらい働いてるんだろ。何十人、どころじゃない。何百人。もしかしたら千とかいってるかもしれない。前にどこかで聞いたことがある。同性愛者の人って、十人か二十人に一人くらい、なんだって。もしもここに千人が働いてるとしたら、五十人から百人の人がいて、その中には風俗使ってる人だっているでしょ。そしたら、俺の顔を知ってる人だって、いるかもしれない。  もう今は名前載ってないけど、誰か覚えてたりするかもしれない。  もしかしたら、お客さんだった人だってここにいるかもしれない。  いたっていいよ。別に、事実なんだし。  そうも思うけど。でも――。 「あ、島崎、お前さ」  さっきの声の主人が島崎くんを呼び止めた。  話、してるかな。一緒に仕事してたとこを見てて、お前がこの間一緒に仕事した奴って夜職しててさぁ、なんて、話してるかも知れない。  自分のやってきた、選んできたものに背筋は伸ばしていきたいけど……さ。 「っス」  いつの間にか、島崎くんだけがそこにいた。 「おはよー。今日は遅番?」 「っス」 「そっかー。俺もー」  聞かされたかな。聞かされてるよね。俺の――。 「あの……」  経歴。 「あとでちょっといいっすか?」  選択肢を間違えるからこそ、なんだ。  毎回、毎回、間違えるからこそ、背筋くらいシャキッとさせたい。 「……いいよ」  じゃないとしんどいでしょ。毎回、あぁ、間違えたって落ち込んで塞いでたら、生きてけないからさ。仕方ない。もう選んじゃったことだし、一生懸命考えて、その時はそれが最善って思って選んだんだから、仕方がない。精一杯頑張った結果だって思うようにしないとさ。 「じゃあ、昼休憩の時に」  やってけないでしょ? 「オッケー」  だから今も、背筋をピンと伸ばして、明るく笑って見せた。  大学で、俺の夜職のことが噂になった時もそうだった。  ちらりちらりって視線がさ、見えないはずなのにチクチク肌に刺さって、苛立ちにも似た心地悪さに座ってるのもしんどくなる。他人のしてる噂話が全部、俺のことを言ってるように思えてきて、居た堪れなくなってくる。  そして、そのチクチクも、居た堪れなも、どんどん大きく確かなものになってきた頃に、声が聞こえてくる。  ――陽野って、身体売ってるらしいよ。  そんな声。  んで、そんな声が聞こえ出したらもう、すぐ。  ――お前も頼んでみたら? 顔、そこらへんの女よりキレーじゃん。勃つんじゃね? この前、振られたって言ってたんだから、溜まってるっしょ? 出させてもらえよ。  ――妊娠する心配ないし。  ――いくらなんだろ。安いなら買おうかな。  そんな下世話で吐き気のする声が。  選んだんだから。ここを進まないと。真っ直ぐ、次の選択肢まで真っ直ぐ。 「……今日、俺も配送」 「あ、うん」  進んでかないと。 「よろしく」 「……うん」  どんなに側から見て、間違ってても、綺麗に舗装され道じゃなくても、ちゃんと進まないと。  ほんと、運っていうか、タイミングっていうか、悪いんだよね。俺って。くじ引きとか当たったことないし。席替えとかもさ、くじ引きで決めると絶対に先生の目の前とかだった。逆に面白いくらいに自分の希望とかと逆のものを引き当てちゃって。  まさか、今日に限って、配送担当になってて。相方が島崎くんだとか。 「……」  向こうも気まずいよね。下ネタの噂話になってる奴と一緒に仕事とかさ。 「あのっ」 「……うん」 「この仕事、どうして選んだんすか?」 「…………ぇ、あー」  けど、だから何? って言うつもり。立派って言われる仕事じゃないかもしれないけど、でも、この夜職をしてたから、アキくんに出会えた、だからこの仕事をしていて良かったって。  それは本当に思ってるよ。  他の仕事だったら、アキくんには見つけてもらえず、俺は腐る一方だったと思うから。 「俺、この仕事、正直、最下層っていうか、その、誰でもできる仕事で、自慢にも何にもならないっていうか。どうなんだろうって」 「……ぇ」 「ずっとそう思ってて。やめてもっと、なんかすごいの就かないとどうにもなんねぇよなって思ってて」 「……あの」 「けど、陽野さん見てたら、そんなことないんじゃって思えてきて」 「いや、あの」 「だから、教えて欲しくて。陽野さんがここに来た理由」 「え? あの、さっきさ」 「っす」 「さっき」  あそこで、男性スタッフと俺のこと噂してなかった? 風俗で働いてたらしいよって、言われてなかった? そう尋ねたら、キョトンって顔して。 「陽野さんって、風俗で働いてたんすか?」  そんなことを呟いた。 「って、さっきの奴らに聞かれたでしょ」 「…………」  めちゃくちゃ、考え込んでるし。 「あ!」  はい。それ、その時、です。おい、島崎って呼ばれてたでしょ? 「確かに!」  ほら。 「けど知らないって答えた」 「え?」 「本当に知らないから」  さすが、っすね。 「っぷ、あは」 「? 陽野さん?」 「あはは」  さすが「あっち」クンっすよ。  最小限の言葉しか口にしない「あっち」クンはやっぱり誰に対しても最小限で。  チクチク刺さって苛立って仕方のない視線も、居た堪れなくなる噂の声も、彼の最小限な返事に一刀両断で、吹き飛んんでいた。  綺麗さっぱりいなくなっていた。

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