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第70話 虹

 演者が決まった。  俺が撮る五分のショートフィルムの出演者は一人だけ。  撮影はナオの仕事の前。基本、夜型だから眠そうにしてたけど、やっぱ、なんか、スイッチとかあるのかな、撮影スタートってした瞬間、さっきまで連続で出てたあくびがキュッと喉奥に引っ込んで、華奢な背中に、一本、柱が入ったみたいにシャキッとしてた。  撮影場所は俺の部屋にしてもらった。上映会はあるけど、大学で夏季休暇明けに、大きな講堂のところにある大スクリーンでするだけ。最優秀作品になれば、かなり多くの人の目に触れることになる。けど、それは、最優秀作品になったら、の話。  俺が大学生してた頃には、この夏季課題のショートフィルムがきっかけてで、そのまま映画業界で出世していった人もいるって聞いてる。  けど、普通の作品は、在学生と講師陣が見るくらい。  それでも、どこでどう流出だったり、人の目に留まるかはわからないから。  ナオの部屋にしちゃって、万が一、身バレに繋がったら危ないし。何せ、ダントツナンバーワンのキャストだから、ファンもいるし、固定の太客もいるから。俺の部屋なら、多分、そのうち引っ越すことになるから。 「……キレー……」  淡々と出勤の準備をするナオの後ろ姿だけで、そんな独り言がこぼれ落ちた。  いくらかかってるんだろうって考えちゃう美肌に美髪。男なのにさ。 「……」  あ、ここ。ここだけ、横顔で、口元を写したんだよね。  小さく溜め息をつくところ。  柔らかそうな唇の隙間から、切なくなるような溜め息が落ちていくのは、アップで捉えさせてもらった。ギリギリ。ナオの顔全体は映さないように気をつけながら、誰かはわからないように注意をしながら、けれど、見ている人に、「彼」はどんな人なのだろうと想像させることができるように。  セリフはラスト、虹を見つけた時にこぼすだけ。あとはずっと、一人の青年が自分を男娼へと仕立てていく様子を追っている。音楽もなくただ追いかけていく。  できることなら、それはまるで、そばで固唾を飲んで、見つめているような気持ちにさせられるなら、って。淡い希望。  巨匠って言われてる監督ならそんなの容易にできるんだろうけどさ。  ただの、フツーの、バカな理由で大学を中退しちゃった奴にはちょっと難しいことだろうけどさ。  そんな思いを込めて撮ったんだ。 「はーい! 今日は、ラストの虹のシーンになります!」  思う、けどさ。 「演者さん、よろしくお願いしまーす」 「ょ、よろし……く」  いつもの明るく、どんな時でも楽しそうなナオのぶっきらぼうな返事が可愛かった。夜に連続でお客さんの相手をしようが、そんなの微塵も感じさせることなく、昼ランチで笑ってるのに。このたった五分のフィルムを撮るのにかかったのは二日。当たり前だけど学生が撮るシュートフィルムだから、撮影クルーなんて呼べるほど大人数じゃない。 「あのさ、マホ」 「?」 「めっちゃイケメンじゃん」 「ぁ、うん」  カメラの調光確認しているアキくんの方をチラリと見て、ナオがそう呟いた。 「イケメンでしょ」 「あれが、芝くんね」 「そ」  俺を、大金はたいて買った物好きな人。ただ同じ部活だった先輩に片想いして、自分のこと変身させちゃって、わざわざ追いかけちゃった変な人。 「……ふーん」 「ちょっ! ナオ? ダメだからっ! アキくんは俺と付き合ってるからっ」 「わかってるよ」  ナオのこと、以前、ノンケが興味本位で買って、そのままナオがどハマりさせたことがあるのを思い出した。ノンケだよ? それを一回のセックスでゲイにさせちゃうって、恐ろしいでしょ。 「俺、人様のもの奪らないし」 「そうだとありがたいです」 「それに……」  ラストシーンはこのまま駆け出したら、勢いで空へと飛んでいけそうな気がする、急な坂のてっぺん。 「彼」はこの坂を下って、「仕事」へと向かう。  その時、風が吹いてきた。急な坂に負けることなく、駆け上がって、てっぺんにいるナオの、せっかく整えた艶髪を乱してしまうような強い風が。 「!」 「俺の、太客さん、芝くんよりずっと笑うと可愛くて、癒し系なんで」 「! ちょっ、待、待ってて! そのままでいて!」 「?」 「今の笑った顔、すっごくいいから!」 「……あは」  今まで見たどのナオの笑顔よりも幼かった。  キラキラで、ピカピカで、太陽みたいに明るくて、温かい笑顔。 「めっちゃいい!」  くったくない笑顔。 「やった」  大慌てでスマホのカメラを準備した。大丈夫、これでも充分、この笑顔の魅力は伝わるから。 「!」 「彼」はこの坂を降りて、一人、お気に入りの「お客さん」のもとへと、仕立てたばかりの甘い香りがする自分の身体を届けにいく。  今日も「彼」は美しい妖艶な姿で、けれど、どこかあどけない姿で、愛しいお客さんの元へと。  虹が見送るなか、軽やかに向かっていく。 「…………」  そんなラストシーン。 「オッケー!」  たった二日の撮影はあっという間に終わった。  すごくすごく、楽しくて、ワクワクした二日間だった。

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