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第71話 電話

 夏休みの課題はあと、レポート類が残ってるみたい。  一般教科からも出てるって言ってたかな。 「あはは、頑張れー」 『……麻幌さんの声が明るい……』 「あはは、だって」  楽しいんだもん。映画、撮らせてもらえた。映画を作る機会を君がくれた。最高じゃん。楽しいに決まってるじゃん。声が明るくなるでしょ。  君が俺を見つけてくれなかったら、こんな夏は送れなかったんだよ。  暑くて、毎日信じられないような暑さに溶けそうになりながら、早く涼しくならないかなって、思うばっかだった。  入道雲を見上げて、わぁ、すご、なんて思わなかった。  青い空を見上げて、眩しさに目を細めることもなかった。  暑さに汗を滲ませながら、坂道を上って下りて、駆け回ることもなかった。  VFXすごかったんだ。  あの日、本当に虹が空にかかってたんじゃない? って思っちゃうくらいに。 『麻幌さんは何してんの?』 「今? 映画観ようと思って」 『……』 「アキくんは課題」 『わかってるし』  不貞腐れたような低い声がくすぐったい。  今日はデートはなし。もうすぐ夏休みが終わるから、ラストスパート。俺のためにたくさん夏休みの大事な時間を使わせちゃったから、少しくらいは遠慮しないとでしょ。 「……頑張って」  会いたいのはきっと俺のほうだよ。 「あ、そうだ。ナオがお礼のメッセージくれた」  貴重な体験ができたって。いい記念になったって。 「あの仕事、八月いっぱいで辞めるんだ」 『へぇ』  だから、スケジュールは八月で終わりになってる。それに気がついた常連さんが殺到してるらしくて、ナオの予定が全部、びっしり埋まってるって。さすがナンバーワンって言ったら、嬉しいけどさぁ……って苦笑いだった。 「んで、経理の勉強するらしい」  わかんないけど。オーナーはいつもそうやって、お店を辞めて次の仕事を見つけたい人の手助けをしてるのかもしれないって思った。けっこう忙しいはずなのに、基本的にそういう事務は全部オーナーがやってるのも、ナオみたいに仕事を見つけたいってなったキャストが出たら、そのキャストに仕事を教えながら任せるためなんじゃないかって。だって、経理とかする人雇ってたら、そういうのできないじゃん。けど、人、雇った方がよくない? って思うくらいに、忙しいと思うんだよね。  だから、ナオもスケジュールアプリがあるよって、オーナーに助言したんだと思うし。  あ、そういえば、ナオって、そういうの得意だった。スケジュールアプリを提案して、みんなに使いやすいようにって説明するのも上手で。  きっと、そういうの慣れてるんだろうって思う。 「って、おしゃべりしてたら結局課題やるのに邪魔じゃん。ごめん」 『……気がつかなくていいのに』 「あはは、アキくん、子どもみたい」 『麻幌さんより一つ子どもだし』  たったひとつですけどって言った。  本当に他愛のない会話。でもそれすらすごく楽しくて、ずっとこうして話していたくなる。 「それじゃあね。課題頑張って」 『終わったら、即連絡する』 「うん。っていうか、まだ、アキくんの部屋行ってない」 『確かに。いや、俺の部屋はダサいからあんまだけど』  いやいや、それがまた見たいんじゃん。かっこいい彼氏の素のところ。楽しみだなぁ。 『マジで、すぐ』 「はーい」  こっちこそ、待ってるよ。  それまでに俺は仕事しながら料理でも頑張ろうかな。最近は餃子を作ってみたいなぁって思ってるんだよね。一緒に仕事してる島崎くんがさ、餃子の焼き方のコツを教えてくれたから。大事なのは火加減、だそうです。 「じゃあね」 『それじゃ』  一番優しい声と、勝手に緩む表情で、バイバイをした。  明日は早番だから、やっぱり、帰りに買い物をして、ご飯作ろう。目指すは、彼氏のうちで手料理披露。  早く終わってよ。  そんで、君の部屋に招待してよ。  その日のために今から手料理だって覚えちゃうからさ。  ――ブブブ。  アキくんだと思った。  電話を切ったばっかで、何か言い忘れたのかなって。そう、思って。 「はーい」  あんま、画面を見ずに電話に出ちゃった。  なんで、画面見なかったんだろう。普段はすごく気をつけてるのに。いつもなら、画面を見てから出るのに。個人の連絡先は教えてない。お客さんとのやりとりは基本アプリを介してだけしかしてない、けど。でも、どこでどう見つかるかわからないから、ちゃんと確認するのに。  なんで、見慣れない番号だったのに通話のボタンを押しちゃったんだろう。 『久しぶり』 「……」  この声に、嫌な予感がすぐに身体を駆け抜けたのに。 『覚えてる?』 「……っ」 『ぁ、電話は切らないほうがいい』  どこからこの連絡先が繋がったんだろう。あの時? それとも最近? 店経由? いや、オーナーはきっと教えないと思う。 『切ったら、きっと損するよ』  嫌悪が全身を走る。  痛くて、震えて、身体が苛立ちに発熱するのを感じる。 『……だろ? 陽野』  切った方がいい。電話を切る、そうした方がいい。  そう思うのに。 『課題に参加したらしいな』  指はぴくりとも動いてくれなかった。

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