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第76話 懐かしい部屋

「はぁぁぁぁっ?」  おお。今までで一番の「はぁ?」だ。 「ちょ…………」  言葉が、出ない様子です。 「けど、もう大丈夫。音声はちゃんと録音してあるし」 「いや、そういう問題じゃなくてっ、なんっ、ちょっ、まっ、いや……なんっ」  全然言えてないし。 「はぁぁぁぁ……」  さっきとは全然違ったイントネーションで「はぁ」と溜め息をついてる。 「……なんで、言ってくんないの」 「それは」 「って、言っても、俺、多分、冗談じゃなく暴力沙汰になってた。扉、まず壊すし」 「あは、アキくんの激怒はちょっと見てみたいかも」  笑ったら、何ってるんだって、ちょっと怒ってる。  でもさ。  ああいうのは拒否っても拒否っても、また懲りずに目に入ったところで手を伸ばしてくる。もしも、俺が一切映画に関わらずに、宝物だった夢をこのまましまっておいたなら、関わることはないだろうけど。でも、この業界でやっていくのなら、きっとどこかでまた同じことをされるから。  ただの拒否は意味ないんだ。 「ごめん。俺、頼りなくて」  いても立ってもいられなかったアキくんは、部屋に案内するよりも早く、今すぐに聞きたいって言われた。そりゃ、そうでしょ。俺がアキくんだったら、そうだもん。だから、歩きながら、一部始終を全部、丸ごと、そのまま伝えた。 「頼ってるよ」 「……」 「じゃなきゃ、ごめんってメッセージ送ったりしない」 「……」 「慌てて駆けつけてくれるだけでいいんだ。すっごい焦って、どうしたんだって心配してくれるだけで、充分」 「そんなの当たり前っ」 「お姫様じゃないから」  どっちかって言ったら、図太くて強くて、どこでも自分でやりくりしていけるんだ。だって、誰かと一緒に過ごす自分は想像してなかったから。いつだって一人で、なんでもできないといけないって思ってたから。 「こうしてそばにいてくれるだけで充分」 「……」 「で、ここのT字路は?」 「……右」  オッケー、そう呟いて、右へと曲がった。  けっこうあるんだね。駅から、マンションまで。 「マジで死にそうに焦った」 「……うん」 「メッセージ読んで。今日、仕事忙しいのかなって思って、折り返しでメッセージを送ろうと思ったけど、送れなくて」 「うん」 「胸騒ぎが止まらなかった」 「うん」 「やっぱ、夢だったんじゃないかって」 「俺?」  コクンと頷いてる。 「ごめんね」 「もう、治った」 「あと、映画のことも」 「そんなのっ」 「でも! 俺も頑張るからさっ」 「……」 「アキくんも頑張ってよ」  二人で映画を撮る。コツコツと地道に、ゆっくり。 「当たり前だ」  一人ならいくらでも早歩きできるけど、二人だから、ゆっくりがちょうどいいでしょ。歩幅を合わせて、歩調を揃えて、並んで一緒に。 「ありがと」  ゆっくり進んでいきたい。 「お邪魔しまーす」 「……どうぞ」  渋い顔なのがおかしかった。 「おぉ……」 「っ、だから、そんなっ」  オシャレ空間じゃないって、と、小さく呟いた。  あ、今朝まで着てたのかな、Tシャツがくしゃっとベッドの上に置かれている。すごく懐かしい引き出しがいっぱいで多機能な机。 「あ、すご、このポスター」 「麻幌の好きな映画のやつ」 「うん。あ、こっちのは」 「それも麻幌が好きな映画の」 「こっちのデザイン知らないパッケージだ」 「外国の」 「へぇ」  古い映画のポスターに、ちょっと散らかってる部屋。きっと課題頑張ってて大変だっただろうなぁ。小さなワンルームマンションは狭いのに、窮屈じゃなくて、むしろ心地いい気がしてる。  不思議。 「あ、このテキスト」 「それ、今日終わったレポートのやつ。このせいで手こずった。これがなかったら、こんなに時間かからなかったのに」 「あはは、これ難しいよね」  現代映画における技術力と人間力の比率とかさ。そんなことを言われましても、って、けっこう深掘りすればするほどわけわかんなくなるんだよね。 「あ、このテキスト、めっちゃ使った」 「へぇ」  ここは、不思議な空間だ。初めて来たのに、初めてじゃないみたい。 「ふふ」 「?」  あの頃から、すごい育ったなぁって。あの大人しかった一個下のアキくんがこんなかっこいい男になるなんてって驚いてたけど。  ここには、そうじゃなくて、少年の、一個下のアキくんが詰まってる気がした。 「なんか、この部屋好き」 「……」 「ちょっと懐かしいかも」  俺ね、大人になればなるほど、間違えた選択肢を積み上げてその上に乗っかっていくほど。  いつもあの日のアキくんを思い出してた。  ――好きです。  そう、伝えてくれたアキくんを。  彼に答えてたら、どんなだったかなって、よく考えてたんだ。あーあって、また違う方を選んじゃったって思えば思うほど。あっちを選んでいたらと後悔する。  そのどんなだったかわからないけど、あったかもしれない未来がここにある気がする。  それに、映画が好きで、週末は眠気なんて吹き飛ばして、四本連続で映画を見て過ごしてた頃の、昔の自分もここにいる気がする。 「課題、お疲れ様」 「……」 「早く、会いたかった」  早く、アキくんの部屋に来てみたかった。 「心配かけてごめんね」 「……」 「アキくん」  早く、君のそばに戻りたかった。

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