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第21話
俺は入社以来ずっと、営業二部というところに所属している。地味な名称だが、世界を股にかけて接着剤の商談をする、グローバルな部署だ。
常に忙しくて、残業は当たり前。定時で帰れることはほぼない。
しかし今日に限っては、メンバー全員が夜七時に業務終了する。部長命令により、必ず定時で退社して、近くの居酒屋で開かれる「締め会」に集合しなくてはいけない。
締め会とは、四半期ごとに行われる飲み会で、今回だと4月から6月までの総括、売上上位者の表彰、次の四半期、つまり7月以降にスタートする新規案件や、そのチーム発表などがある。その後は貸し切りなのと、金曜で明日が休みなのをいいことに、ひたすら飲んで騒ぎまくる。二時間たって終わる頃には、何人も潰れてる大宴会だ。
俺が客先での打ち合わせを終えて戻ってきたとき、オフィスの壁時計はちょうど号令のかかっている七時を示していて、汗をかきながら営業用のモバイルPCや書類袋を下げた俺は、支度を終えて居酒屋に向かうために外に出る社員に逆行する形になった。
「お、お疲れ様です……」
すれ違う人みんなに頭を下げて見送るものの、誰も俺と目を合わせようともしないし、わざわざ遠回りしてあからさまに俺を避ける人もいる。
みんなにとって俺は、同性の同僚にフラれたにも関わらずしつこくつきまとい、交際を迫った変態ストーカーだから。俺がどれだけ否定しても、みんなが同僚を信じて、俺は信じて貰えなかった。最悪なのは、営業部長の薦めで、職場を騒がせたことを皆の前で謝罪したことが俺がストーカー行為をしたと認めたことになったこと。以来、こうして俺は白い目を向けられている。
自分の蒔いた種だから我慢するしかない。そう自分に言い聞かせる毎日だ。
やっとの思いで自席にたどりつき、重たかった荷物をデスクに下ろした。他のみんなはすでに居酒屋の方へ移動したようだ。5名が2列で向かい合う10人席にはもう誰もいない。
ただし、少し離れた窓際の課長席に墨谷さんだけがまだ残っていた。俺に気づいて、手に持っていた書類を下げ、視線を俺に向ける。
「遅かったな。もうみんな行ってるぞ」
「す、すみません。○○建設との打ち合わせが長引いてしまって……」
○○建設は日本最大手の総合建築会社で、建築材料として長年うちの接着剤を使っている。俺が担当に当てられるのは、こういう難しい商談がいらない客ばかりで、我ながら仕事のできない社員の典型だ。出世の見込みはまるでない。
「なにか問題でも起きたのか?」
墨谷さんが眉間にシワを寄せて聞いてきた。
「嘘はつくなよ。何があったか正直に言え」
嘘って……。ため息はギリギリで飲み込んだ。確かにいつもの訪問よりだいぶ遅くはなったけど、それだけで仕事のミスを隠してるとか、想像力ありすぎ。
「何もありません。いつも通り、先月分の請求書を持って行っただけですよ。すぐに帰るつもりが、むこうの建設部長さんにつかまっちゃいました。俺がゴルフ始めたのをどこかで聞いきつけて、お下がりをくれるとか、打ちっぱなしでイチから教えてやるってしつこくて。その場にいた周りもノッちゃって、なんか色々誘われちゃって……」
ついムキになって言って、我に返った時には時すでに遅し。
「なるほど。チヤホヤされて舞い上がっていたわけか」
俺を睨み付ける墨谷さんの眉間の深いシワからフツフツとたぎった怒りが伝わってくる。
「まさかその誘い、受けていないだろうな?」
俺は冷や汗をかきながらぶんぶんと首を降った。
「も、もちろん、断りましたよ!! 営業先のお客様からのいただきものや、私的な交流は社内規則で禁止だと説明して、先方にもご納得いただきました!! 俺だって、せっかくの休みをお客様と会って潰したくないですよ!」
なんとか導火線の火を消せたようで、墨谷さんの表情がすっと戻った。
「それならいい。今後は、馴染みの客だからといって愛想を売りすぎるな。お前はいつもヘラヘラして相手に誤解させやすい」
「はい!」
返事した俺の向こうで、墨谷さんがゆっくりと立ち上がった。墨谷さんもこれから締め会に向かうらしく、ハンガーにかけていた上着に袖を通している。
俺は着席して、外出中のメールチェックを始めた。
「何をしている。さっさと締め会に行くぞ」
「……っ、いえっ。俺はもう少しかかるので、お先にどうぞ……」
頭を下げて見送ろうとする。
だが、墨谷さんはカバンを持つと、ゆっくりとした足取りでこっちに来て、緊張する俺の真横で立ち止まった。
「一緒に行こう」
俺を嫌ってるのに、誘ってくれるんだ。嬉しくなくもない。……けど、俺なんか気にしないでいいから~!!
とっとと一人で行ってほしい俺の願いとは裏腹に、墨谷さんは俺が立ち上がるのをじっと待っている。
「…………」
あー、こんなことなら、開始の七時ちょうどじゃなくてもっと時間を潰してから帰って来れば良かった。
時間ギリギリの七時に戻ってきたのはわざとだ。荷物を置いたらそっと会社を出て帰るつもりで、せっかくだからとエトワールの鶴矢さんに連絡して、相談予約を入れてしまった。
なので、俺は締め会には行けない。
「あの…………」
「なんだ」
恐る恐る顔を上げる俺と、胸の前で腕を組んで俺を見返す墨谷さん。目が据わってる。
指の長い手がそっと俺の肩に触れた。
「木原、さあ早くデスクの上を片付けるんだ……」
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