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第22話
「さっさとしろ。もう15分も遅刻している」
真上から見下ろされるプレッシャーがたまらない。
「……さっ……、」
「そうだ、さっさとしろ」
いや、そうじゃなくて……。一度深呼吸して言った。
「さ……、先に行ってもらえませんか。残っている仕事が終わったら、すぐに行くので……」
「馬鹿を言うな」
これも新人のときから思ってたけど、墨谷さんって、俺にだけキレるの早すぎ。そして、細身なのに恐ろしく力が強い。
俺からモバイルPCを取り上げると、俺の脇に腕を入れて強引に立たせた。抵抗する俺を、みんなが出て行って無人のエレベーターホールへ問答無用と引っぱっていく。
「は、離してくださいっ。あとで行くって言ってるじゃないですか!」
「嘘をつくなとさっきも言ったのに。分かってるぞ、お前はサボるつもりだろう」
ギクッ。思わず動きを止めたら、頭の上でため息をつかれた。
「知っているだろうが、締め会は部長により全員参加が義務付けられている。来ないとあとでひどいことになるぞ」
脅かされたところで、俺は墨谷さんと違って平気だ。
「それならそれでいいですよ。全然怖くありません」
開き直った俺に、墨谷さんは驚いた顔をした。
「どういう意味だ」
今は答えられないけど、すぐ墨谷さんも分かる。どうせ俺は半年以内に結婚して辞めるから、部長に飲み会の欠席を根に持たれることなんてどうでもいい。
それよりも、座敷で誰も俺の隣に座りたがらず、それでいて酒が入ると遠慮のない下ネタを俺に振って、場が凍る方がずっと怖くて辛いんだ。
「……俺、締め会には行きません。俺が行くとみんなが楽しめないの、墨谷さんも知ってるでしょう。俺なんかいないほうがいいんです」
だから手を離して下さいと、切実にお願いした俺に、墨谷さんは無情だった。
「気持ちは分かったが、断る」
絶っ対に分かってない。分かっていたら、ここまで言ってる俺を引きずっていくわけがない。
「離せ、離せってばぁ……!」
いつもは大混雑しているのになぜかこんなときに限って空のエレベーターがやってきて、俺は無理やり中に押し込められた。このままではドアが閉まってしまう。
「離せ、この野郎~~!!……」
こうなったらもう先輩とか上司とか関係ない。ひじで墨谷さんの胸を何度も突いた。が、墨谷さんの手は俺の脇を掴んで離さない。男二人がもみ合ってエレベーターが激しく揺れ、安全機能と思われる警報がけたたましく鳴った。一瞬の隙をついて俺は外へ向かう。しかしすぐに後ろから羽交い締めにされた。抱え上げられて足が地面につかない。
「ふぐっ……ふぐぐ」
「悪いが今日だけ我慢しろ」
たかが部の飲み会でここまでするなんて異常だ……。
しかし、本当の恐怖はここからだった。
「終了時間まで俺の隣に座ってればいい。タイミングを見て、部長に七月の俺の案件にお前をサブ営業にする許可をもらう。本来なら、お前に到底務まるべくもない高度な商談だが、俺が完璧にフォローすると言えば大丈夫だろう」
「……へっ……!?!?」
墨谷さんの案件のサブ? 俺が? 七月から一年間?
「心配しなくていい。多少のミスは想定内だ。一年かけて俺がお前を一人前にしてやる」
「いやいや、俺にも色々事情があるので他をあたってくださいっ!!」
だが、ここでタイムオーバー。長らく営業フロアに停まっていたエレベーターのドアが、チンと音を立てて閉まった。
「ああああ」
エレベーターが降下するのと一緒に俺の血の気も引いていく。
地上に着いたら、俺は部の公認のもと墨谷さんの奴隷だ。結婚が決まったら円満退社のはずが、墨谷さんの監視のもとでは、それもままならないだろう。
「不安になるのも分かる。だが、世界規模の案件で、それ以上のやりがいがある。終わる頃には俺に感謝するはずだ」
「…………」
もう口も聞きたくない。どうせ逃げられないんだから。
いや。まだ俺には唯一の望みがあった────。
俺は強力な味方を思い出し、そっと腕に付けているスマートウォッチに視線を向けた。
夕方の五時頃からついさっきまで『雨宮 誘』からのメッセージや留守電の伝言が15件。しばらく全面的にブロックしていたが、"ブロックはヤ、メ、ロ!"と玄関にでかでかと張り紙されて、仕方なく解除してやったら性懲りもなくこれだ。
『ヤッホー! 誘だよ。一体いつまで俺を無視する気? 俺、透くんに言い忘れたことがあるんだ。直接話したいから、これから会えない?』(×15)
今まで既読無視していたが、ワンチャン、誘はいま俺を待って会社の外にいるかも知れない。これまでの行動を考えると、可能性は高い。誘は基本、俺の言うことを聞くから、アイツの馬鹿力で俺は墨谷さんから自由になれる。
誘、お願いだ! 今の俺にはお前しかいない!!
────が、俺を助けてくれるはずの誘の姿は、外のどこにもなかった。
馬鹿誘のくそ役立たず!! 人んちの玄関先で何時間も粘ったり、迷惑な張り紙をしていくくせに、なんで今日は待ち伏せしてないんだよ!! もし来てたら、今日だけは話を聞いてやったのに!!
諦めきれずにあたりを見渡す俺の腕を、墨谷さんはまたも強い力で抑えこんでくる。
「こっちだ。急ぐぞ」
「やだぁぁぁ、ゆうぅぅぅぅ~」
夜のオフィス街を墨谷さんに引きずられて行く俺の悲鳴は、誘に届かなかったに違いない。
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