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第42話

 ホットドッグ屋の片付けが終わり、ゴミ出しへ行った誘を、俺はぼんやりと日陰のベンチで待っている。  俺は「先に帰る」って言ったんだけど。誘が絶対に十分で戻るし、その後は俺を駅まで送るって言うので、仕方なく。  すぐ目の前が大手カフェの運営するドッグランで、腰くらいの高さのフェンスの向こうに、走り回ってるワンコが見えている。公園の周囲は高級住宅街なだけあって、どの子も血統書付きみたいなきれいな姿のワンコばかりだ。でもそれより何より、大好きなご主人と無邪気に遊んでいる姿がたまらなくかわいい。  子供のころはよく犬が飼いたいとダダをこねて両親を困らせたっけ。ペット不可のマンション住まいで叶わなかったから、大人になったら犬の飼える家に住んでお迎えするって決めてたのに、現実の俺は狭いワンルームの社畜で、犬ではなく誘が住んでる……。  青色のフリスビーがドッグランのフェンスを越えて飛んできた。丁度俺の足元に落ちたそれを拾って顔を上げると、追いかけてきた、持ち主と思われる男性と目があった。 「どうもすみません……」  俺より年上で、四十歳くらい? 婚活で俺に申し込んでくる男性もこのくらいの年齢が一番多い。 「どうぞ……」  フリスビーを差し出す。彼はぎこちなく受け取った。 「ありがとう」 「どういたしまして……」  用事は済んだはずなのに、彼はなかなか立ち去らない。 「あの、少しだけいいですか?」  首を傾げる俺に、彼はおずおずとフェンスの向こうの自分の愛犬を指差した。白と黒のフワフワした毛とクリクリの目のかわいいボーダーコリーで、こっちにいる飼い主を尻尾を振って待っている。 「リオくんと言って、二歳の男の子です。とても賢いし人懐こいんですよ」 「へー、可愛いですね」  目が合ったリオくんにこんにちはと言うと「ワン!」と返事してくれた。 「良かったら、撫でてあげてくれませんか?」  ちょっと驚いたけど、リオくんは俺を新しい友だちと思っているようで、フェンスから必死で頭を出して、遊ぼうとアピールしてくる。 「じゃあちょっとだけいいですか? ……」  リオくんの頭にそっと触れた。フワフワと柔らかい。よしよしとなでると、リオくんは尻尾をブンブン振って、もっともっとと、自分からすり寄っておねだりしてくれる。  ああもうっ可愛い! ナデナデしてるだけで、癒されるぅ~っ。  膝を地面についてそこらじゅうなで回し、リオくんが飼い主の彼を振り返ったのと一緒に俺も顔を上げると、飼い主の彼が優しく俺を見つめていた。 「良かったです。勇気を出して、あなたに声をかけてみて」 「あ、あは。お陰で癒されました……」  急いで立ち上がる。お礼を言って去るつもりが、リオくんにキュンキュン鳴かれて引き留められ、飼い主さんもそんなリオくんをよしよしと褒めた。 「失礼ですが、あなたに元気が無いように見えたので……」 「そ、それは……」  もしかして清一郎さんのことを考えて涙ぐんでたの見られた? きっと、それで心配して声をかけてくれたんだ。 「ちょっと失恋して……。えへへ、そんなに暗かったですか……」  苦笑すると、彼もつられて笑ってくれた。 「そうですか……。分かりますよ。僕がリオくんお迎えしたのもそういう理由でしたから」  癒し犬・リオくんは、ドッグランの柵から俺たちの方へ来たがって、フェンスを乗り越えそうなくらい、ジャンプしてる。でも彼がお座りと言うとお利口にお座りをした。 「僕は篠田といいます。この公園のすぐ近くで、父と二人で内科のクリニックを開いている医師です」 「お医者さんですか。すごいですね」  篠田さんはちょっと照れた顔をした。 「すごくはないですが、見直していただけたなら良かった。君みたいな若い子に、こんなおじさんがいきなり話しかけたから、怪しく思われてましたよね」 「そんなまさか!」  謙遜だとは思いつつ、全力で否定せずにはいられない。 「最初から、怪しくなんて思ってなかったですよ! むしろ優しそうな人だなって……」 「それはどうも……お世辞でも嬉しいです」  お世辞じゃないのに。微笑む篠田さんは、すごく清潔感があって、特に眼がきれいで、全然おじさんって感じじゃない。 「俺は木原透です。化学メーカーで営業をしてます」  フツーの自己紹介のつもりが、驚かせてしまったようだ。 「てっきり学生さんかと思ってました」 「ハハ……良く言われます。童顔で……」  とくに今日みたいなTシャツにジーンズだと、ますます幼く見えてしまう。  キューンと、自己主張するように、リオくんが鳴いた。そうだ。いつまでも俺がいるとリオくんが遊べないよな。図々しく思われないうちに、去るべきタイミングだろう。誘もそろそろ戻ってくるし。

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