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第3話
事件は翌朝起きた。
「……イジ、エイジ」
休日の惰眠を貪っていると、天使の美しい声で目を覚ました。しかしミカエルは鬼の形相で僕を見下ろしている。怒りの顔に僕の眠気は一気に覚めた。周りを見回すと、姉の荷物はすでにない。
どうやら既に出ていったようだ。
「君、やってくれるじゃないか。僕を騙すだなんて」
「は……? な、なんの話?」
心当たりがなく、戸惑っているとミカエルは冷蔵庫を指差した。
「プリンなんてないけど」
「入ってるって。ちゃんと見たんか?」
起き上がって、のそのそと冷蔵庫を開く。酒とツマミと調味料ぐらいしかない質素な冷蔵室には、あったはずのプリンがなかった。
「あ、まさか」
嫌な予感がして、シンクを見ると、そこには無残に食べ尽くされたプリンの残骸があった。昨夜、姉が食べてしまったようだ。
(さすが暴君……)
「あ……、あー、姉貴が食いよったわ。また買ってきたるからーー」
しかし忘れていけない。
姉以上に怒らせてはいけない暴君がここにもいるということを。
僕は振り返って後悔した。ミカエルの目は赤く光り、髪を逆立たせて、全身を殺気に包んでいた。
(ひぃッ)
「人間ごときが、僕の楽しみを奪うなんて……」
ミカエルは拳を握り締めると大きく息を吸い込んだ。
「人類を滅亡させてやる!」
「そんなことしたら、二度とプリン食べられへんで!」
僕の言葉にミカエルはぐっと言葉を詰まらせた。そして、改めて言い直す。
「人類を根絶やしにしてやる! プリン職人を除いてな!」
「完全に魔王のセリフやんけ」
僕はため息をついて、ミカエルの機嫌を取ろうと試みた。
「落ち着け、ミカエル。プリンひとつで怒りすぎや。また買うてきたるから。な?」
ポンと、頭を撫でてやると少し表情を和らげたが、それでも納得できずに首を横に振った。彼は相当プリンを楽しみにしていたようだ。
「そんなんじゃ、腹の虫がおさまらない」
「じゃあ、どうすんねん」
「復讐だよ! 僕と同じ絶望を味わわせてやらないと気が済まない!」
「お前、ホンマに天使か!」
世の中にこんな物騒な天使がいていいのか。
神がいたら抗議したい。無論、四十八手以外の神にだ。
しかし、これ以上説得しても逆効果だろう。ある程度はミカエルの好きなようにさせるしかないかと僕は半ば諦めた。
「いくらなんでも、姉貴に危害加えるんはやめろよ。あんなんでも一応家族やしな」
「ふぅん、わかったよ。じゃあ、彼女の同類に責任を取ってもらうよ」
「同類って、まさか弟の僕に責任を求めるつもりちゃうやろな。それはさすがに怒るで」
「まあ、君にも責任の一因はあるけど、今回は君に何かするつもりはないよ」
偉そうなのがちょっと腹が立つが、ターゲットから外れたことに一応安堵する。
「何する気なん?」
「メッタメタのギッタギタにしてやるのさ!」
ミカエルは声高々に宣言すると、魔王のような笑い声をあげた。
僕はその笑い声をBGMにして、インスタントコーヒーを煎れた。
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