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遠い日の約束②

「仁さん……」 「どうした? 宗一郎。もしかしてヒートか?」  宗一郎は苦しさのあまり必死に首を縦に振る。オメガがこうなってしまえば、アルファに抱かれる以外にこの熱を冷ます方法はない。潤んだ瞳で仁を見上げた。 「最後の最後でヒートか……神様って人は本当にいるのかもしれないな?」 「はぁはぁ、苦しぃ、仁さん、苦しい……」 「そうか、かわいそうにな」  愛しそうに自分を抱き締めてくれる仁にしがみつく。濡れた着物越しに感じる仁の温もりと鼓動。  もうこんな風に彼の温もりを感じることはできないのだ。切なくて、苦しくて心が千切れそうになる。 「噛んでください、仁さん」 「宗一郎……」 「俺の項を噛んでください。俺を、仁さんの番にしてください」  その言葉に息を呑んだ仁だが、すぐにいつもの柔和な笑顔を浮かべる。  宗一郎の首に腕を回し、コツンと額と額をくっつけた。雫の垂れる宗一郎の前髪を掻きあげてくれる。そんな仕草に目を細める宗一郎を、仁はより愛おしそうに見つめた。 「噛んでもいいの?」 「はい。俺は仁さんと番になりたい」 「わかった。よかった……最期の瞬間に君と番うことができて」    そう言いながらチュッと首筋に口付けされる。冷え切っている体に押し当てられた仁の唇がやけに熱く感じられて、宗一郎は思わず体に力を籠めた。 「大丈夫だよ、優しく噛むから。だから、怖くなんてない」  耳元で囁かれても、やはり噛まれるという行為は怖くて……宗一郎はギュッと目を閉じた。  仁が深く息を吸いこみながら大きく口を開いたことが、見てもいないのに伝わってくる。宗一郎を逃がさないためだろうか? 仁の力強い腕は背中と腰に回されていて身動きすらとることができなかった。  ――あんなに待ち焦がれた瞬間なのに……。  宗一郎は仁に恋をした時からずっとこの日を待ちわびていた。自分が仁の番になる日を夢見て生きてきた。それは絶対に叶うはずのない夢だったのに、今叶おうとしている。  たとえ二人で過ごす最期の瞬間だったとしても、宗一郎は嬉しかった。 「噛むよ?」 「……は、はい……」 「こんなに震えて、宗一郎はかわいいね」 「…………⁉」  ガブリッ。  鋭い(やいば)が皮膚を切り裂く感覚と皮膚に食い込んでくる痛みに、宗一郎は咄嗟に体を反らした。しかし逃げることなんて許されるはずもなく、歯を食いしばってその痛みに耐える。温かな血液が首筋を伝い、それを仁が愛しげに舐めとった。 「よく頑張ったな、宗一郎。これで僕達は番になれたよ」 「本当……ですか? ……嬉しい」 「宗一郎、この手は絶対に離さないから」 仁が繋いだ手をギュッと握り直す。もう二度と離れることがないように……そう言われている気がして、胸が痛んだ。 「本当に月が綺麗だね」  仁が呟いた言葉は、池が囂々と渦巻く音に搔き消されて、宗一郎には聞き取ることができなかった。  翌朝、冷たくなった二人の亡骸が見つかった。最後に交わした約束は果たされて、繋がれた手が離れることはなかった。  岸に打ち上げられた二人は、蓮の花に包まれてまるで眠っているかのようで――その姿を見た人々は、報われることのなかった恋に涙を流したという。  強く握られた手と手は、死んでも尚離れたくないと言わんばかりに強く握り合っていた。  そして宗一郎の項には決して消えることのない、噛み跡が刻まれていたのだった。

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