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遠い日の約束④
夢に違和感を覚えながらも、月日は流れていった。
「渉坊 ちゃん、夕食ができあがりましたので食堂におこしくださいませ」
「あー、うん。今行く」
「おや。また昼寝をしていらしたのですか? 最近は夜更かしをされているようですから、それが原因で昼間に眠くなるのですよ。大体……いいですか? そんな不規則な生活をされては、心身に悪い影響が出てしまいかねません……。そもそも、坊ちゃんは立派なお父様の意志を継いで……」
「わかったわかった。すぐに行くから、柴崎 は先に行っててよ」
「まったく、最近の坊ちゃんは……」
プリプリと怒りながらも渋々と部屋の前から去っていく柴崎に思わず苦笑いをする。柴崎は渉が生まれる前からこの家で働いている執事だ。彼はこの家の家政婦を取りまとめている。
渉も幼い頃から柴崎の世話になってきたのだが、十八歳になった今でも子ども扱いは変わらない。
いつもお説教をしては「最近の坊ちゃんは……」と嘆いているものだから、見ていて可笑しくなってしまうのだ。
あの不思議な夢を見始めた頃は、なぜこんな夢を見るのだろう……と不安に感じていたが、今ならわかる。あの夢の意味が。
あの夢は、渉が生まれ変わる前に本当にあった出来事。
そう……。渉は令和の世に、過去の記憶を持ったまま生まれ変わった。
今ではわかる。いつも見るあの夢は、夢なんかじゃなくて渉の過去の記憶だということが……。
あの夢が過去に自分が体験したことだなんて、最初の頃は戸惑いを感じたし、信じられるはずなんてなかった。でも、今は違う。
なぜなら、渉は仁という男の温もりや、優しくて耳触りのいい声も……その全てを鮮明に思い返すことができるのだから。
しかも、自分はオメガではないのに、無性に体が疼くことがある。異常に体が火照って、体の奥深くがジンジンと痺れて切なくなる。でも、その感覚には覚えがあった。
それは、まだ渉が十六歳のときの、ある夏夜のことだ。タワーマンションの高層階にある渉の部屋からは、東京の夜景をはるか先まで望むことができる。キラキラと宝石のように輝くビルの明かりの間を、玩具のような車が走っている。
凄く綺麗なはずなのに、見慣れてしまったせいか心が動くことなんてない。
その時、心臓が震えるような大きな音に、渉は窓の外に視線を移す。夜空中に響く力強い太鼓のような大きな音が、一度二度開いて鼓膜を叩く。それは体の芯まで揺らして、最後はぱちぱちと鳴きながら消えていった。
「あ、今日は花火大会か……」
渉の両親は過保護なものだから、花火大会というものに行かせてなどもらえない。幼い頃に一度だけ「祭りに行ってみたい」と両親に頼んだことがあるが、人ごみは危ないだとか、出店の食べ物は体によくないだとか……そんな理由で祭りには連れて行ってもらえなかった。
今でも、祭りに行ってみたいという願望はあるが、口にするだけ無駄だと諦めてしまっている。
いつも両親の言いつけ通りに生きている渉に自由などない。監禁生活というわけではないものの、ずっと誰かに監視されているように思えて、息苦しくて仕方がないのだ。
もっとやりたいことはたくさんあるのに……。
だから、いつもこうやって、硝子越しから花火を眺めていることしかできない。
ドンドンッ!!
音に少し遅れて大きな花を咲かせる花火を見ているうちに、体が徐々に火照り出すのを感じた。
――なんだ、これ……。
いくら渉がそういう年頃だとしても、花火を見て性的な興奮を覚えることなんてない。どんどん熱を帯びていく体に、渉は戸惑いを隠しきれなかった。
渉の視界にいつかの光景が、まるで花火が開くかのようにフラッシュバックする。
『宗一郎、辛そうだね。こっちへおいで』
『仁さん、仁さん』
『宗一郎、可愛い』
優しく自分を抱き寄せてくれる男の顔を見上げれば、それはいつも夢に出てくる仁だった。
自分を慈しむかのような優しい笑みに、少しだけ乱れた呼吸。自分を見て、仁が性的に興奮しているのが伝わってきた。
色とりどりの花火が仁を普段より妖艶に見せる。ほんのり赤く染まった頬に潤んだ瞳……宗一郎は夢中で仁の唇に吸い付いた。
『大好きです』
『僕も宗一郎が好きだよ』
縁側でもつれ合うように抱き合う。着物ははしたなく乱れて、宗一郎の白くて細い足が空に晒された。「恥ずかしい」などと思う余裕もなく、仁に再び唇を奪われてしまったのだった。
――あぁ、そうかあの夢は、俺の前世の記憶。
花火がまるで蛍の光のように暗闇へと消えていく。瞳からは涙が溢れて、何度拭っても止まることなんてない。
この項の痣だって、仁がつけたものだ。どうしてそんな大切なことを、今の今まで忘れていたのだろうか。
このとき渉は、過去の記憶を取り戻したのだった。
しかし、生まれ変わった渉の隣に、仁はいない。彼もまた、自分と同じように令和の時代を生きているのだろうか。また、会うことができるのだろうか。
そう思えば、切なくて寂しくて……渉は仁を想い、夜空を彩る花火を背に泣き続けた。
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