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カルガモの親子②
「渉って本当に箱入りなんだね?」
「はぁ? 今更なんだよ?」
「だってさ、本当に知らないことだらけなんだもん。『僕が何とかしてあげなきゃ』って変な使命感に駆られる」
渉の顔を覗き込みながら、正悟が照れくさそうに笑う。
季節は変わり、もうすぐ夏がやってくる。梅雨の時期はジメジメしていて、汗で肌に制服がまとわりついてきて気持ちが悪い。正悟が教科書でパタパタと渉を扇いでくれた。
「お坊ちゃんはこんな不快な環境で生活をしたことがないだろうから、夏バテ気味じゃない? お昼も全然食べてなかったし」
「お腹は空かないけどコーラは飲みたい」
「駄目だよ、ジュースばっかり飲んでいたら、本当に夏バテしちゃうよ」
「正悟のケチ!」
渉が「あかんべぇ」をしてみせれば、正悟は怒るどころかクスクスと笑っている。
「でも、正悟が俺の分まで弁当食べてくれるから、本当に助かる」
「僕も弁当をもらえるのは助かってるよ。でも心配だな」
「うるせぇよ。俺はそんなにヤワじゃない」
「でも、渉はアルファの割には華奢なんだもん」
「正悟がゴツ過ぎるんだよ」
そう言いながら正悟が渉の手首を掴んだ。「ほら、こんなに細い」と眉を顰めながら。
渉が初めて高校に登校したあの日から、正悟はずっと渉の世話を焼いてくれている。はじめのうちは、世間知らずなボンボンが面白いだけですぐに飽きるだろうと思っていた。しかし、正悟は相も変わらず渉の傍にいてくれる。
それが嬉しいのに、素直になれなくてつい憎まれ口を叩いてしまうのだ。
ある日正悟が「お弁当のお礼に、ちょっとだけど」と照れくさそうに飴がたくさん入った袋をくれた。それは決して高価なものではないだろうけど、初めて友達から物を貰えたことが渉は嬉しかった。
包んである紙を丁寧に剥がして口の中に放り込めば、苺の甘い味がふんわりと口の中に広がっていく。
「うまい」
渉は嬉しくて、両頬を押さえて思わず微笑んだ。
「渉はさ、何かやりたいことないの?」
「突然なんだよ?」
「いや、お坊ちゃんって想像してた以上に窮屈そうな生活なんだろうな……って渉を見ていて感じることが多いから」
「まぁ、金に困ることなんてないけど、確かに自由なんてないよ。やりたいことだって、『危ないから』ってさせてもらえないことの方が多いのも確か。やりたいこと、かぁ……」
「そう。ずっとこれやってみたかったけど、許しが出なくてできなかったこととか……あるんじゃないの?」
「ずっとやってみたかったことねぇ」
正悟から視線を外して考えてみる。あ、あった……ずっとやってみたかったこと。
「俺さ、電車に乗ってみたいんだ」
「電車?」
「そう。本当ならさ、柴崎の送迎じゃなくて、電車とバスを使って通学してみたかったんだけど、危ないからって親が許してくれなくて。だから俺、電車に乗ってみたい」
期待に胸を膨らませて正悟を見上げる。
「なぁ、電車ってどんな感じ? あのピッて音が鳴るやつやってみたい」
「もしかしてICカードのこと?」
「そうそれ! なぁ正悟。電車に乗って俺をどこかに連れてってよ」
「うーん、どこかって言われてもなぁ」
正悟が唇を尖らせて悩み始める。眉間に皺を寄せて首を傾げる仕草なんて、本当に仁にそっくりだ。
「あ、あった。渉を連れて行ってあげたい所」
「マジで? どこどこ?」
「今は内緒だよ。僕のお気に入りの場所なんだ。期末テスト期間の最終日だったら、ちょうど学校が半日で終わるから一緒に行ってみないか?」
「行く行く!」
「じゃあ、お互い期末テスト頑張ろうね」
「うん!」
正悟が電車に乗せてどこかに連れて行ってくれるというだけで、渉は嬉しくて口角が上がってしまう。ニコニコが止まらなくなってしまうのだ。
「渉は本当に単純で扱いやすいね」
そう笑う正悟の言葉なんて、今の渉には聞こえるはずなどなかった。
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