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オメガになったアルファ⑨
初めてヒートを起こした日から数日が経過した。体の火照りは収まったものの、全身が怠くてたまらない。体を起こすのも一苦労だし、自分の身の回りのことをするだけで精一杯だ。
そんな渉の元に慧は足繁く通い、世話を焼いてくれた。あまりにも甲斐甲斐しく世話をするものだから、逆に恥ずかしくなってしまう。さすがに「体を拭いてやる」と言われた時には断ったのだが、そんな渉を見ていつも通り、意地悪そうに笑っていた。
「お前は俺に抱かれたくせに、裸を見られるくらいで恥ずかしがるんだな?」
「な、何言ってんだよ!?」
「ふふっ。そんなに怒るなよ。俺だって嬉しいんだよ。前世ではお前を遠くから見ていることが多かった。でも、今はこうやって遠慮なくお前に触れることができる」
そう言いながら、そっと渉を自分の胸へと抱き寄せる。仁とも、正悟とも違うその匂いに強い戸惑いを感じた。
「ずっと、お前を見ていたんだ。だから少しくらい番らしいことをさせてくれ」
「誠さん……」
「違う、俺は誠じゃない。慧だ。そして、お前の婚約者だからな」
恵まれた体格に生まれ持った才能。どこからどう見ても、慧は立派なアルファだ。
この男と結婚すれば、幸せになれるのだろうか……。そんな考えがふと頭を過る。
でもそれと同時に、ある疑問を感じずにはいられない。
――項に噛みついたのは、本当にこの男なのだろうか? もしかしたら……。
あの時、渉の目の前にはラットした正悟がいた。二人共我を忘れる程興奮していたし、渉は正悟に「項を噛んでほしい」とねだった。そして、正悟も渉と番になることを望んでいたのだ。
あの時、正悟が渉の項に噛みついていたとしたら……そう考えずにはいられない。
初めてのヒートに耐えきれず意識を失った渉には、誰かに項を噛まれた記憶もないし、慧に抱かれた記憶も残っていない。
例えば、本当は正悟が渉の番になったにも関わらず、慧が自分を手に入れるために嘘をついているのだとしたら? その可能性だってゼロではないはずだ。
そうであってほしいと思ってしまう。
「正悟は、あの時の記憶があるのだろうか?」
直接会って確かめたい気持ちもあるが、真実を知ることが怖くもある。
もし、慧が言ったように、渉の項を噛んだ相手が慧自身だとしたら……。
オメガは一生涯で一人しか番をもつことができない。だから、父親の言う通りに慧と結婚し、彼の子供を身籠ることが渉にとっての幸せなのだろう。
そんなことを渉は全く望んでなどいないが、「それが運命なのだ」と言われてしまえば諦めるしかない。
渉として生まれ変わって、ようやく仁の生まれ変わりである正悟と出会うことができたのに。結局は結ばれない運命だったのだと潔く身を引く以外に方法はないのだろうかと、頭を様々な思いがよぎっていく。
しかし、今世では何もまだ始まっていないことが救いだった。
「今ならきっと正悟を忘れることができるはずだ」
渉は何度も自分にそう言い聞かせた。
首に巻かれた包帯をとって鏡を覗き込む。項には痛々しい噛み傷が残されていた。もう血が滲むことはなくなったけれど、その傷跡が薄くなることはない。
――俺の項を噛んだのは誰なのだろうか?
もう泣かないと決めていたのに、涙は次から次へと頬を伝う。渉は誰にも気づかれないように、声を押し殺して泣いた。
「正悟……会いたい……」
そっと呟いた名は、本人に届くはずなどなかった。
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