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第六章 本当の番①
渉が普段の生活を送れるようになったのは、初めてのヒートを体験した日から一週間後だった。ようやく思い通りに動くようになった体が軽く感じられる。
今回ヒートを体験したことで、明治時代に比べて医療の目覚ましい進歩を感じさせられた。昔はヒート期に入っても、ただ自分で自分を慰めることで熱を冷まし、長い時間を耐え凌ぐしかなかった。
しかし現代は、内服薬で簡単にヒートの症状を抑えることができる。番のいないオメガには、ヒートの抑制剤はまさに救世主となったことだろう。
久し振りに制服に袖を通し、ネクタイを結ぶ。いつも通りに重箱の弁当を持たされて、柴崎が運転する車に乗り込んだ。
ずっと家の中にいた渉が自宅を出た瞬間、思わず息を呑む。外の景色がいつもより輝いて見えたのだ。
蝉がうるさいくらいに鳴いているし、少し外にいるだけで汗が噴き出す。太陽の光が燦燦と照り付け、季節は夏本番といったところだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、渉坊っちゃん」
大勢の家政婦に見送られて、渉は学校へと向かったのだった。
教室の目の前に来て、渉は立ち止まってしまう。
――一体、正悟にどんな顔をして会えばいいのだろうか? なんて話しかければいい? この噛み傷のことをどう説明したらいい? どうしたら……どうしたらいいんだ……。
昨夜あんなにもイメージトレーニングをしてきたはずなのに、頭の中が真っ白になってしまった。
「やっぱり帰ろう」
教室に背を向けて下駄箱まで走ろうとした渉は、背後から肩を掴まれた。その瞬間、大きく心臓が跳ね上がる。恐る恐る振り返ると、そこには今にも泣き出しそうな顔をした正悟が立っていた。
「渉……」
小さな声で自分の名を呼ぶ正悟の姿に、胸が締め付けられる。不安そうに顔を歪める正悟を、今すぐにでも抱き締めてやりたい衝動に駆られた。
「渉、話があるんだけどいいかな?」
「……うん。俺も、正悟に話したいことがあるんだ」
「そっか」
渉が微笑むと、正悟の顔が少しだけ緩む。
朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴り響く中、誰にも気づかれないようにそっと、いつも二人で昼休みを過ごした屋上へと向かった。
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