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本当の番⑥
「へぇ、着物がたくさんあるんだな」
店に入った渉は辺りを見渡し思わず溜息をつく。店の中には所狭しと着物が綺麗にディスプレイされていた。しかも、どの着物も全く知識のない渉が見ても高価そうなものばかりだ。
人間国宝が手縫いで作ったとされる着物は、複雑な作りをしており、その繊細な技術に思わず目を奪われてしまう。色とりどりに染め上げられた帯はどれも色鮮やかで、細かく縫われた刺繍は見事としか言いようがない。
着物の他にも手織りの巾着や風呂敷も売られている。その全てが宝石のように輝いて見えた。
「ここの着物は世界に誇れるものだ。どれをとっても上質の物ばかりだから、好きなものを選ぶがいい」
「好きなものをって……でも俺、着物のことはあまり詳しくなくて……」
「じゃあ俺に任せてくれるか? こう見えて、前世の誠は呉服屋の若旦那だったんだ」
「あ、そうか……」
嬉しそうな顔をしながら店の奥に消えていく慧を見て、渉ははっとする。そうだ、誠は呉服屋の一人息子だったのだ。いつも綺麗な着物を着こなしていたことを思い出す。
「おい、渉。これなんかいいんじゃねぇの?」
「あ、うん。今行く」
手招きをする慧のもとへ向かうと、優しい笑みを浮かべる店主が一枚の着物を持っていた。それは絹糸で織られた真っ白な着物だった。
雪のように真っ白で、絹糸が店内の淡い照明を受けて上品な輝きを放つ。溜息が漏れるほど美しい着物だ。でもこれはまるで――。
「白無垢みたいだな」
「は?」
「花嫁が着る白無垢みたいだ」
慧の言葉に渉の頬が熱くなった。
慧も同じことを感じていたのかと驚くのと同時に、これを自分が着るかもしれないと想像すると……恥ずかしさの方が先にやってくる。
「それにほら、そこを見てみろ」
「あ、これ……」
「そう、蓮の花が刺繍されてるんだよ」
白い着物の所々には淡いピンク色の蓮の花が刺繍されている。まだ丸い蕾のものから、綺麗に花を咲かせたものまで……。それは、まるで池に浮かんだ本物の蓮の花のようだった。
「お前、蓮の花が好きだっただろう。いつも蓮の花が咲いている池の傍にいたもんな。俺は遠くからずっとそれを眺めていたんだ」
慧が近付いてきて、そっと渉に着物を掛けてくれる。
「顔を上げてみな」
「……うん」
大きく息を吐き出しながら目の前にある鏡を見れば、まるで白無垢を着た花嫁のような自分がいた。きっと普通なら、心がいっぱいになるシチュエーションなのだろう。
それでも、渉は心の底から喜ぶことなんてできない。
鏡の中にいる寂しそうな花嫁を見つめていると、渉はあることに気付いてしまった。
それは後ろ姿も見えるようにと置かれた大きな姿見を覗いた瞬間――。項にある噛み傷が、渉の目に飛び込んできたのだった。
「噛み傷の中に、やけに深くて大きな傷が二か所ある……」
そこはちょうど、犬歯に当たる部分だろうか? でもなぜそこだけこんなに深い傷になったのだろう。
その二か所の傷に強い違和感を覚える。しかし、渉はその答えを知っているような気もするのだ。
なぜなんだろう……。一生懸命思考を巡らせてみたが、答えなんて見つからなかった。
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