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歪んだ真実⑧

「生まれ変わったら、幸せになれるって信じてたのに……。だから、どんなに怖くても、仁さんの手を離さなかったんだ」 「なんだと?」 「俺は、自分の好きな人と幸せになりたいだけなんだ」 「渉……」  渉はデスクに押し付けられた手で、すぐ近くにあった結婚式場のパンフレットをぐしゃりと握り潰す。これが自分の幸せだなんて嘘っぱちだ……と、心が悲鳴を上げ続けていた。 『宗一郎……』 「え?」  突然渉の耳に懐かしい声が響く。恐々としながら目を開いて、そっと辺りを見渡した。 「どうして彼の声が……」  今の声は聞き間違いだったのだろうか。いや、そんなはずはない。今聞こえてきた声は、確かにあの人の声だ……。 『宗一郎、おいで』  もう一度鼓膜に響く優しい声。その愛しい存在を、すぐ近くに感じたような気がした。 「迎えに来てくれたの?」 「渉、どうした?」  誰もいない方向に向かい微笑む渉を見て、慧は怪訝に思ったのだろう。訝しい顔つきで渉を覗き込んでくる。渉はそんな慧から視線を逸らし、そっと目を閉じた。  「大丈夫だよ。もう怖くない」  渉は大きく息を吸ってから、静かに目を開く。 「さよなら、慧さん」 「……なんだよ、突然」 「やっぱり、俺にはこんな着物は必要ねぇよ。きっと俺には似合わねぇから」 「なんだと? お前、本当にいい加減にしろよな」  慧の切れ長の目が見開かれ、怒りからか体が小刻みに震え出す。そんな威圧的な慧が今までは怖かったけれど、今は何も感じられない。  今の渉は、本当に失いたくないものに気付いたから。 「離せって言ってんだよ!!」 「グハッ! お、お前、何をしやがる」 「俺に気安く触るな!!」  渉が思いきり慧の鳩尾に蹴りを食らわせると、慧が勢いよく吹っ飛んでいく。ようやく自由になった手は、きつく握られていたせいか真っ赤に腫れあがっていた。  それでも自分に掴みかかろうとする慧の手を、渉は勢いよく払い除けた。 「ほらよ!」  渉は着物を慧に向かって放り投げる。こんなもの、もう不要だ……。 「貴様、こんなことをして許されると思っているのか?」 「……そもそも、許されようだなんて思ってない」  これで全ては終わった。もう今の自分には居場所すらないだろうし、どんな罰を受けるかもわからない。  でもこれでいい、これでいいんだ。 「待て、渉。行かせるものか!」 「もうお前の好きにはさせねぇ!」  渉は近くに置いてあった置き時計を手に取る。その置時計は、渉の父親の会社の創立記念に作られたものだ。銅で作られているようで、かなり重たい。  ――もう、どうにでもなれ……!  渉は大きく深呼吸してから、そっと目を開く。そして、それを力任せに慧に向かって投げつけた。 「な、なにをするんだ!?」  慧が一瞬怯んだ隙をついて、渉は部屋から抜け出したのだった。

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