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過去の記憶③

 仁には『鬼歯』と呼ばれる鋭く尖った八重歯が二本あった。その歯は口付けをする時に、いつも宗一郎の歯とコツンとぶつかる。初めのうちはそれが痛くて、口付けのたびに眉を顰めた。そんな宗次郎に仁はいつも「ごめん」と幸せそうな顔で謝ってくれたのだった。  そして正悟には鬼歯が一本だけある。初めて正悟とキスをした時に、右の八重歯がコツンと渉の歯に当たるのを感じたのだ。  慧に着物を羽織らされて鏡を見た瞬間、渉はあることに気付いて目を見開いた。帰宅してから、柴崎に鏡を持ってもらい逸る気持ちを抑えつつ、自分の項にある噛み跡を確認する。  ――もしかしたら……。  緊張から、襟足を掻き上げる渉の手が震えた。 「やっぱり、見間違いなんかじゃなかったんだ……」   自分の項にある噛み跡を見て、それは確信に変わる。  項に刻まれた歯型には、くっきりと二本の鬼歯の跡が刻まれていた。  つまり、渉の項に噛み跡を付けたのは正悟でも慧でもなく、仁だったのだ。  きっと死んでも尚、渉を想い続ける魂が、渉の項に歯型を残したのかもしれない……そう思うと切なく心が痛む。  もしかしたら、慧は渉の項にある歯型を見て、気付いていたのかもしれない。だからこそ、あんなにも渉に執着をしたのだろう。  渉に宗一郎、正悟に仁。そして慧と誠。時を超えても尚、絡み合う絹糸のように解けることがない恋情。誰かが誰かを想って、その愛情が憎しみに生まれ変わる。 生まれ変われば幸せになれるに違いない……そんな希望を抱きながら、必死にもがき続けてきた。  でももう、それも終わりを迎えるのかもしれない。 「渉、渉‼ 見つけた……」 「正悟……」  目を真っ赤に腫らした正悟が躊躇いもなく池の中に飛び込んできて、渉を抱き締めた。その突拍子もない行動に驚きつつも、渉も正悟を抱き締め返す。濡れた服越しに伝わってくる正悟の温もりがひどく愛おしかった。 「柴崎さんから突然渉がいなくなったって連絡が来て、俺びっくりして……。でも、渉は絶対ここにいると思って急いできたんだ……。よかった、よかった……見つかって……」  子供のように涙を流しながら自分を強く抱き締める正悟に胸が熱くなる。声を上げて泣きたいのに、色々な感情が一気に溢れ出して言葉にならない。  正悟と視線が絡み合った瞬間、無我夢中で唇を重ね合わせた。 「あ、ふっ……苦しぃ。正悟、苦しぃ……」 「逃げんな、渉」  呼吸をしようと唇を離しても執拗に追いかけられて、唇を塞がれてしまう。苦しくて仕方がないのに、幸せで……正悟とのキスに酔いしれた。

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