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緋色の闇(4)
「エドガー、お前もしかして誰か相手がいるのか? お前は次男だから、ほどほどの相手なら自由に選んでいいんだぞ。今度俺に……」
「どの口が言う!」
勢いよく突き飛ばされ、レオンハルトはよろめいた。
すかさず駆け寄ったヴィルターに抱きとめられる。
エドガーの薄い青の目が憎々し気に細められた。
「実の妹(シンシア)を見捨てた男と友情ごっこかよ」
フンと鼻を鳴らすとエドガーは足音荒く階段を駆け上がっていってしまった。
何かが割れる激しい音が二階の廊下で響く。
腹いせに花瓶を叩き落としたのだろう。
「エドガー坊ちゃん」と叫んで、使用人の老婦人が慌てて駆けていった。
「なぁ、ヴィル……」
肩に置かれた親友の手をそっと放してレオンハルトが呟く。
「俺は酒臭いか? 夕べ随分呑んだからな」
「い、いや。相当近付かないかぎり気付かない」
「そうか。なら良かった」
レオンハルトの唇に上ったのは自嘲の笑みか。
「公会議で酒の匂いをプンプンさせて、陛下の不興を買ってはいけないからな」
「レオ……」
この期におよんで王の犬になり下がる親友の胸の内を慮ったか、ヴィルターは上着の皺を黙って伸ばしてやる。
エドガーにつかまれた喉元がかなりくたびれて見えた。
「まだ時間はあるだろ。少し休んでから行ったらどうだ」
「いや、お前の家は王宮のすぐ近くだが、俺の家は見てのとおりだ。王宮まで馬でもかなりかかる」
今から馬の支度をするから、もうあまり時間はない。
よろよろといった動作で、レオンハルトは玄関を開けた。
途端、射しこむ朝の陽光。
街外れというのがひと目でわかるのは、屋敷のすぐ際に森が広がっているからだ。
眩しさに眸を細めながら、レオンハルトはため息をつく。
「シンシアのことが知れ渡っているなら、公会議は針の筵だな……」
厩(うまや)へ近付く足取りも重い。
心配してついてくるヴィルターは、いつでも肩を貸せるという体勢だ。
「お前と公会議に行けたらな。いつか一緒に出席できるのかな」
「そうだな。父が引退しておれがシュルツの当主になれば、もっと君を助けてやることもできるのにな」
そんなつもりで言ったんじゃないよと苦笑するレオンハルトに、緋色の青年は真顔で頷いてみせる。
「分かってる。それに父はまだ四十二歳だ。まだまだ当主の座に居座るつもりだろう。おれも自由な身だからこそ、できることもあるんだ」
「そうだな……」
無駄話が多いのは、よほど公会議への出発に気が進まない証だろう。
愛馬にはすでに鞍がつけてあった。
本日の予定を把握している使用人が用意してくれていたのだ。
のろのろと騎乗する親友を手伝ってやりながら、ヴィルターも言葉少なだ。
「おれは部屋で待ってるから。会議が終わったら帰っておいで」
「うん……」
馬の腹に踵をポンと当てると、心得たもので愛馬は王宮へ向けて歩を進める。
街の建物の向こうにそびえる王宮は、ただ大きく異様な形に見えた。
とりまく建造物も陽光を受けて赤く輝いている。
目を閉じても瞼の裏には緋の残像。
血の色じゃない。
そうは分かっていても、その色はレオンハルトの胸をキリと締め上げた。
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