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高貴な瑠璃は散らされる(1)
唇を合わせ、抱きしめられた。
長い指で内部(ナカ)を抉られ、果てて。
何度も繰り返し、それでもまた求めて──。
窓から射しこむ陽射しは夕陽の緋に染まり、やがて闇に落ちる。
几帳面な性格の当主が夕食の時間になっても食堂に姿を現さないとあって、台所を預かる老婦人は戸惑ったはずだ。
きっと何度も扉を叩いたに違いない。
誰も入ってこないところをみると、ヴィルターが中から鍵をかけていたのだろう。
ヴィルターの手は今も腰に添えられている。
親友の胸に顔を埋め、幾許かの時をまどろんだろうか。
絶対味方の腕に包まれて涙も精液も全部吐き出して、ようやく自我が保たれたか。
レオンハルトの表情から焦燥は消えていた。
「もう行かなくては……」
──でも、離れたくない。
言葉に反してレオンハルトが動こうとしない様子に、ヴィルターが小さく笑みをこぼす。
ひんやりとした手が背を滑り、むきだしの首筋を撫でた。
「この細い肩に、家も責任も全部背負ってたんだ。少し休んだらどうだ? うちの別荘に遊びにこないか」
「別荘? 湖のそばの?」
「朝出れば、昼前には着く。レオをここに置いておきたくないんだ。おれの手で何ものからも守りたい」
「何言ってるんだよ」
ヴィルターのシュルツ家は名門である。
王宮の側に構える邸宅もレオンハルトの家とは比べものにならないほど立派だし、暑い夏を乗り切るため近隣の避暑地に別荘もいくつか所有している。
小さな湖の側に建つ瀟洒な造りの別荘には、レオンハルトも訪れた覚えがあった。
「うーん」と、レオンハルトは唸る。
「あの別荘、小さいころに行ったんだが怖かったんだよな。湖にオバケが出るって」
「ああ……おれも子どものころ、女の泣き声を聞いた」
「ほら」
「レオと一緒だと変な声は聞こえない。レオだってそうだろ。おれがいたら何も怖くないはずだ」
「そうは言ってもな」
「レオ……」
「ん?」
沈黙がふたりを包む。
幾度も求め合った唇が寄せられたが、触れる直前、甘い静けさはまたも破られた。
「坊ちゃん、起きていらっしゃいますか」
扉を叩く音だけなら聞き流していただろう。
しかし父の代から仕えてくれる老婦人の切羽詰まった声に、ようやくレオンハルトは我に返ったのだ。
「どうした、ばあや」
急いで夜着を羽織って扉を開けると、たったふたりしかいない使用人がそろって立っている。
赤ん坊のころから面倒を見てくれている老夫婦だ。
レオンハルトが当主になっても変わらず坊ちゃんと呼び、レオンハルト自身も彼らをじいや、ばあやと話しかけている。
「坊ちゃん、大変です。エドガー坊ちゃんがいらっしゃいません」
「エドガーが? そんなのいつものことだろう」
どこで遊び歩いているのか、夜中に弟が家を空けるのは珍しいことではなかった。
大抵、夜明けに香水の匂いをプンプンさせて帰ってくる。
「それが……エドガー坊ちゃんのお部屋が散らかっていて。今さっき気付いたんですが、長旅用の大きなトランクがなくなってるんです」
「見たんです。夕方、エドガー坊ちゃんが馬に乗って森のほうへ向かわれるのを。エドガー坊ちゃん、普段は馬になんて乗られないのに」
「馬で? しかも森へ?」
嫌な予感がする。
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