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「俺を奪え」(5)
※ ※ ※
「坊ちゃん」という悲鳴で、レオンハルトは目を覚ますことになる。
──ああ、まただ。目を覚ますと怖いことが起きている。
無意識の動きだろう。
髪を撫でてくれるヴィルターの手が愛おしい。
レオンハルトが眠っているあいだ、ずっとこうしていてくれたのだろう。
「坊ちゃん!」という叫びが、再び。
覚醒するにしたがって、雨の音が徐々に大きくなっていく。
──もういやだ。ずっと寝ていたい。もう……目覚めたくない。つらい現実から離れて、ヴィルの腕の中でずっと眠っていたいんだ。
「坊ちゃん!」
じいやの悲鳴。
いや、これはばあやの金切声か?
ただごとではない叫びに、レオンハルトはのろのろと身を起こした。
腰に回されたヴィルターの腕をそっと横によけると、親友もぼんやりと目を開く。
するするとヴィルターの手が動き、レオンハルトの頬に触れた。
おはよう──と、口が動く瞬間のこと。
「坊ちゃん、来て!」
絶叫に、レオンハルトは跳ねるように立ち上がった。
衣服をつけるのももどかしく、急いで部屋を飛び出る。
廊下に出るなり口元を押さえたのは、甘ったるい香水の匂いに噎せたからだ。
「エドガー……?」
叫び声が聞こえる玄関へ向かうにつれ、匂いは強くなる。
果たして、玄関にはじいやとばあやの背が見えた。
「どうした、何があっ……」
声をかける直前、ばあやが顔を覆ってうずくまる。
その向こうに佇む巨きな影に気付き、レオンハルトの顔が強張った。
空間に染みをつくるように立ち尽くすのは、黒い鎧を纏った長身の人物。
《王の影》と呼ばれる護衛部隊の長である。
頬に刻まれた傷に雨の滴が伝い、床へと落ちた。
つと──下へと視線を転じ、レオンハルトはその場で数歩よろめいた。
「こ、これは、どういう……」
黒鎧の影の足元に、無造作に何かが転がっている。
人だ。
しかも若い男であると気付いたレオンハルトは、震える足取りで近付き膝をついた。
雨に濡れたせいか、匂いたつ香水に噎せ返る。
ペタリと額に貼りついた黒髪をよけてやると、薄い青の眼球と目が合った。
「エドガー……?」
返事はない。
薄青の目は光を宿さない。
「エドガー、どうした? 目をさませ……」
抱え上げたと同時に、カクリ──。
あらぬ角度で首が折れた。
ぬるり。
馴染みのある嫌な感触が手のひらを覆う。
抱えた首筋に赤い筋が浮かんだ。
ぽとり。 ぽとり。
床にしたたる赤い滴。
腕の中には、息絶えたエドガーの躯。
ばあやの悲鳴。
いや、これは己の喉から迸った叫びか?
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