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「俺を奪え」(6)

「拘束するよう、陛下に命じられた」 「だが、御令弟は武器を持っていた」  半開きの弟の目を呆然と見つめる兄の頭上に、無慈悲な声が降った。  《王の影》所属の兵士が二人、こちらを見下ろしている。  突然の声に驚いたのは、二人の姿が長の背に隠れていて今の今まで気付かなかったからだ。 「激しく抵抗されたのだ。仕方がない。不可抗力だ」 「揉みあううち後頚部に剣が刺さった。不可抗力だ」 「ふ、不可抗力だと……」  震える語尾がかき消える直前、レオンハルトの身体が跳ねた。  裸足の踵で床を蹴り、二人に飛びかかる。  降り固めた拳を顔に腹に、立て続けに打ちこんだ。悲鳴も漏らさず倒れる二人。  勢いそのままに、《王の影》長の胸に掌底を叩きこんだ。 「うっ……」  しかし、悲鳴をあげよろめいたのはレオンハルトのほうであった。  目の前の黒い姿はピクリとも動かない。  全身を覆う黒鎧に拳など通用するものか。  たとえ剣を持っていたとしても、この人物には敵わないだろう。 「くそっ!」  痺れる拳を再び振り上げる。  打ちかかった一瞬のこと。黒い影が腕を払った。 「ガッ……ぐはっ……」  弾かれたように後方へ倒れ込むレオンハルト。  喉を押さえ、床をのたうち回る。  異変に気付いたか、ようやく駆けてきたヴィルターに助け起こされたものの、上体をくの字に折り曲げて咳込んでいる。  カチャリ。  《王の影》が剣の鞘を鳴らす音が、やけに乾いて聞こえた。  この段になって、ようやく部下ら二人もよろよろと起き上がる。 「こいつも捕らえましょうか。それとも殺しましょうか」 「こいつに関しては、陛下から何の命も受けてないだろ」  部下の言葉に返事もせず、長は無言を貫く。  代わりに腕を振りあげた。  襲いかかるレオンハルトの喉を、男の剣の柄が突いたのだ。  衝撃で喉の奥が切れたか、舌を噛んだか。  血を吐き身体をくねらせるレオンハルトとは対照的に、最小限の動きで《王の影》は息すら乱していない。  死体を届け、もうここに用はないとばかりに背を向けた。  二人の部下も慌てたようにあとに続く。 「ま、待て……っ!」  掠れる声を振りしぼって黒い背を追うレオンハルト。  外に転がり出たところで、ぬかるみに突っ伏した。  咳込んだ拍子に、喉に泥水が入ってくる。 「待て……待てっ!」  どんどん遠ざかる《黒い影》の後ろ姿。 「くそっ!」  必死に身を起こすも身体に力が入らない。  ヴィルターに抱えられ、その胸に顔を押しつける。 「くそっ! 王のせいだ。エドガーは咎めないと言った。だから俺は我慢して、あんな嫌なこと……」  噎せ返りながら、言葉は途切れ途切れだ。  だが、その声には憎悪がぬらりと燃えている。  レオンハルトの手は、ヴィルターの胸倉をつかんだ。  泥に汚れた顔が近付く。  濃い瑠璃色の眸は、これ以上ないほど見開かれていた。 「ヴィルターよ、俺は……王に復讐する」  打ち付ける雨のなか、それは誓いであった。

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