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「愛」のおもいで(4)
葬儀用の衣服を着替えに屋敷へ戻っていたのだろう。
今のヴィルターは普段着の楽な服装だ。
高価な絹で作られた赤の上着が、実によく似合う。
「……何をしにきた、ヴィル」
「レオが泣いてると思って。君の涙を拭いにきた」
ゆっくりと近付く緋色の影を、レオンハルトは初めて怖いと思った。
すべてを失った自分に、こうやって差し延べられる手。
孤独に負けてそれを取ってしまったら、きっと二度と離れられなくなってしまう。
だから、レオンハルトは親友から視線をそらせた。
「俺は泣いてなんかない。さっきは信じられないことに大笑いしていた」
「レオ、無理をするな」
ヴィルターの手が頬に触れる。
冷やりとした指先に、全身から力が抜けるのを自覚した。
ヴィルターの手は濡れている。
そこでようやくレオンハルトは、己の頬をとめどなく流れる涙の存在に気付いた。
「……駄目だ。お前には立場がある。シンシアにも、お前の父上にも悪い。俺なんかに関わったら……」
頬を拭う手が肩に回される。
そっと抱き寄せられた。
「父も家も気にするな。君より大切なものはほかにないよ、レオ」
「ヴィル……」
ヴィルターの胸は心地好い。持て余す体温を鎮めてくれる。
「だ、から……駄目だって。も……くるな」
喋ろうにも、拒もうにも、唇が震えて言葉にならない。
冷やりと冷たい手が髪を、背を、ゆっくりとなぞる。
彼の胸に顔を埋め、声をあげて泣いてしまえたらどんなに良いか。
だけど、こいつを巻き込むわけにはいかない。
「ヴィルは人が好い。俺なんかに付き合って道を踏み外すことはないんだ。だって、お前はシュルツ家の跡取りだろ。約束された未来がある」
耳元にふっと息がかかる。
「人が好いのは君のほうだ、レオ。おれがどんなにどす黒いか知らないくせに」
「どす黒い? お前が? そんなわけ……」
語尾が掠れた。
どうかそこで喋らないでくれ。
耳の奥に吹き込まれる吐息に、腰が砕けそうになる。
「レオ、こんな状況にも関わらず、おれは喜んでるんだ。すべて失った君が、おれを頼ってくれたらいいのにって」
「馬鹿を言うな……」
理性を総動員してヴィルターの胸を押し返した。
「巻き込む。駄目だ……帰れ」
必死の抵抗は、しかしあえなく途切れてしまう。
ヴィルターに肩をつかまれたのだ。
「おれを利用しろ、レオ。おれが何のために君と妹の婚約をごり押ししたと思ってるんだ」
「……やはり、ごり押しだったんだな」
歪んだ笑みを作るレオンハルトの頬を、ヴィルターの両掌が包んだ。
顔を近付けられ、レオンハルトの視線が泳ぐ。
血のように緋いあの目を見返すことができない。
「レオ、おれたちは幼馴染で親友だ。でもそんな絆、何かあったらすぐに切れてしまう脆いものだろ」
だから、姻戚関係という切れない絆が欲しかったのだとヴィルターは言う。
「何言って……」
親友という絆がそう簡単に途絶えるはずないと言いかけて、レオンハルトは思い直した。
もう関わるなという言葉を、今まさに自分は彼に向かって吐いたばかりではないか。
ヴィルターの顔が近付く。
「やめ……」
ああ、緋色の眼差しに囚われてしまいそうだ。
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