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荒れ狂う緋(2)

 いくら細身とはいえ意識を失ったレオンハルトを、かよわい女性が一人で馬に乗せるのは口で言う以上に大変だったろう。  しかも怪我の応急処置をして、なるべく傷に触らないよう運ぶなど。 「安全な場所はここしか思いつかなかったの。レオンハルト様のおうちなら、また陛下が戻ってくるかもしれない。でも大貴族の父が所有するこの別荘なら、誰も手出しできないわ」  ──来るとすれば兄くらいね。  シンシアの呟きに、レオンハルトは顔を上げる。 「ヴィルに連絡を?」 「どうされたの、レオンハルト様? 顔が赤いわ。夕陽のせいかしら」  訝しむ様子のシンシアに、レオンハルトは顔を俯ける。  言えるわけがない。  婚約者の君を国王に差し出して、自分はその兄と道ならぬ情事に溺れていたなど。 「兄にはあえて連絡してはいないけれど。でも、あなたの手当のためにシュルツの侍医を呼んだから。兄にも伝わっているんじゃないかしら」  会いたくないなら、わたくしが何とかしてさしあげてよ? あの人、レオンハルト様のこととなると、その……少しこだわるから──と、明らかに言葉を選んだ言い方にシンシアの戸惑いが見てとれた。  友情と愛がぎこちなく入り乱れた今の自分たちの関係を、シンシアには知られたくない。──この時、レオンハルトはそう思ったのだ。  彼女の明るい赤茶色の瞳に映るのが、ひどく後ろめたい。 「エドガーの葬儀には君を呼ぼうと思っていたんだ。でも、王城にいる君に連絡のつけようがなかったから……」  すまなかったと、寝台の上で俯きながらレオンハルトは早口でまくしたてた。 「すまないなんて言葉で許されるわけがないと思っている。そもそも、君にあわせる顔がない。俺は君にひどいことを……。どんなに恨まれても仕方がないと……」  エドガーと恋仲と気付いてやれなかったばかりでなく、王への貢ぎもののように扱った。  なのに、こうやって命を助けられて甘えている。  人生の残り時間のすべてを使って憎むと告げられても当然のことをしてしまったというのに。 「ちょ、ちょっと、レオンハルト様?」  シンシアが焦ったのはレオンハルトが頭をさげ、今にも泣きだしそうに顔を歪めたからというだけではなさそうだ。 「待って。あなた、勘違いをなさっているわ」 「なにが?」 「わたしは陛下に、その……指一本触れられてなんかいないわ」  生々しい言い方に躊躇いを覚えたのだろう。  何となく居心地悪そうにシンシアも俯く。 「陛下はわたしには興味がないみたい。王宮からは出られなかったけれど、放ったらかしだったわ。あなたの家に行くから付いてこいって言われたのが、初めてかけられた言葉だったもの」 「そ、そうなのか」  レオンハルトの戸惑いの表情に、シンシアは言いづらそうに視線を落とす。 「私が思うに、多分、その……何ていうか、陛下はあなたから婚約者という存在を奪ってしまいたかっただけじゃないかしら」  言い澱むのは、王がレオンハルトにどんな無体を強いたか察しているからに違いない。  言い得ぬ情けなさに身が震えるが、それでもレオンハルトは心から安堵した。 「俺にこんなことを言う資格はないが……でも、良かった。好きでもない奴に肌を触られるなんて耐えられないからな」  低い声。  語尾は微かに震えていた。  そんなレオンハルトに、シンシアはそっと上掛けをかけてやる。 「傷は浅いと医者は言っていたけれど、無理は禁物ですわ。すこしお休みになって。眠るまで側にいてさしあげても良くてよ?」  茶目っ気たっぷりな言葉に、思わず笑みがこぼれる。 「シンシア、ありがとう……」  寝台に寝転ぶと、首まで布団をかけてくれる。 「今はゆっくり休んで。わたしのことで悩んだり、気に病むことはないわ。ただ……」  そのあとは、シンシアは無言であった。  言葉に詰まったように呻き声を漏らすと、あわてて少し微笑んでみせる。  よく休めるようにとカーテンを閉めると部屋を後にした。  薄暗がりの部屋はカーテン越しに夕陽の緋に染まっている。  彼女の後姿を見送って、レオンハルトは天井を睨み据えた。  ──自分のことは気にしなくていい。ただ、殺されたエドガーのことは別だわ。  彼女は言葉にしていない。  だが、レオンハルトにその思いは痛いほど強く伝わった。    ※  ※  ※

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