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荒れ狂う緋(5)
「お前とシンシアのおかげで命拾いしたよ。弟の無念も晴らせず死ぬところだった」
湖を流れる風の悲鳴に耳を傾けてはならないと、レオンハルトは親友のほうを振り返った。
殊更に声を張りあげたため、腹の傷が引き攣れて痛い。
「なぁ、もう止めないか。レオ」
ヴィルターの声がいつもより低いことに、レオンハルトは戸惑いの表情を浮かべた。
夕陽の緋が辺りを染める。
「何を?」という問いが無邪気に聞こえたのかもしれない。
ヴィルターの視線が胸元の指輪を射抜く。
「だから! 王に復讐しようなんて考えをだよ。また怪我をしたらどうする。君をもう二度と王になんか近付けたくないんだ」
「ヴィル、俺はもう大丈夫だ。お前に心配をかけるようなことは……」
無意識の動きだろう。
レオンハルトが胸元の指輪に触れる。
その手を、ヴィルターが握りしめた。
「弟はもう死んだ。たとえ王を血祭りにあげたって、弟は帰ってこない。そうだろ」
「ヴィル……エドガーは大切な弟で、俺の希望だったんだよ。お前もシンシアが同じ目にあったとして、そんなことが言えるのか?」
語尾が微かに震えている。
そこに怒りの感情を見てとったか、ヴィルターが一瞬声を詰まらせた。
しかし、その手はますます強くレオンハルトの拳を握りしめる。
「言えるよ。おれは、そう言える。妹よりも誰よりもレオが大切なんだ。分かってるだろ、おれがどんなにレオを想っているか」
第一、シンシアはいつまでこの別荘にいるつもりなんだとヴィルターは毒づき始めた。
──早く王宮へ帰ればいいんだ。王がシンシアを探しにここまでやって来て、もしもレオが見付かったらどうするんだ。
冷たい言い方に、レオンハルトは視線を落とす。
シンシアが王に無体を強いられているわけではないと聞いて、ほっとしたのは確かだ。
だが、彼女とて被害者であることに変わりはない。
周囲からは王の愛人と思われ、立場も不安定だ。
頼るべき婚約者はこのザマだし、兄は信じられないほど無慈悲な言葉を吐く。
唯一の味方だった恋人エドガーも死んでしまった。
いたたまれない思いから、レオンハルトはヴィルターの手を振りほどいた。
「で? お前の父上は何を?」
何の話だと、ヴィルターの表情が翳る。
「探っていたんじゃないのか。二十年前のルーカス王即位時に何があったのか」
それは……とヴィルターが口ごもる。
「分からなかった。でも……」
「でも、何だ!」
幼馴染の剣幕に押されたのだろう。
緋色の眼差しが落ち着きなく泳ぐ。
「当時の王太子が使っていた紋章は分かったんだが。その……」
「紋章だと?」
そんなものが何の役に立つんだと、レオンハルトは首を振った。
失望と落胆を隠すこともせず。
「なぁ、レオ。本当にもうやめよう。君が真っ青な顔をして寝台に横たわっているのを見て、おれは心臓が凍り付いたんだ」
二度とあんな思いはしたくないと、ヴィルターが再びレオンハルトの手を取る。
祈るような仕草で、それを己の胸に引き寄せた。
「復讐なんて忘れて、ここで静かに暮らそう。この別荘が都に近すぎるというなら、もっと遠くに行ったっていい。二人で暮らせるように屋敷を構えて、誰にも邪魔されず……」
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