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荒れ狂う緋(6)

「ふざけるな!」  しかし、その手はまたも振りほどかれる。 「ヴィル、お前は何も失ってないからそんな呑気なことが言えるんだ。俺は……血まみれで運ばれてきた父の姿が忘れられない。エドガーの無念もだ!」 「レオ、あまり大きな声を出すな。傷にさわる」  宥めにかかるヴィルター。  そんなのどうだっていいんだと叫んで、レオンハルトは両手で顔を覆った。 「この命と引き換えにしてでもいい。王に地獄を見せてやる。でなければこの先、生きてなんかいられない……あっ」  小さな叫び声。  ヴィルターが近付いたと思ったら、強く抱きすくめられた。  檻のように拘束する両腕に、身じろぎすらできない。  耳朶を穿つ苦し気な吐息に、レオンハルトの決意は揺らいだ。  そうだ、ヴィルターはいつだって自分を心配してくれた。  言葉尻ひとつを取って、こんなに責めることないんだ。 「ヴィル、ごめ……」  ごめん、俺が悪かったという言葉は、しかし最後まで言えなかった。  噛みつくような勢いで唇を吸われたのだ。 「んっ、んんっ……」  懸命に顔を背けて、レオンハルトは強引なくちづけから逃れる。  ヴィルターは優しい。  痛いくらいにつかんだ腕も、きっと放してくれるに違いない。  初めて身体を弄われたときも「レオが嫌ならすぐやめるから」と何度も言って気遣ってくれたではないか。  しかし今、レオンハルトを捕らえる腕は強くなるばかり。 「ヴィル、放せ……」  服の上から腹をなぞる指が艶めかしい。  そこに言いえぬ情念を感じたか、瑠璃色の眸が焦ったように周囲を見回した。  木々が目隠しになってくれているとはいえ、別荘の建物はすぐ近くだ。  誰に見られているか分からない。 「そうだな、レオの身体は誰にも見せたくない」 「ヴィル、痛い……」  腕を引っ張られた。  痛いと言っても放してなんてくれない。  見上げるヴィルターの横顔は強張っていて、緋色の眼差しはどこを向いているのか分からなかった。  引きずられるように屋内へ入り、レオンハルトが寝泊まりしている客間へ連れていかれた。  毛足の長い敷物に足を取られたところ、身体を突き飛ばされる。 「うっ……」  転がされたのは寝台の上だ。  柔らかな敷布に包まれ痛みも衝撃もない。  だが、レオンハルトは顔を歪めた。  手は庇うように傷口を押さえる。 「腹が痛むのか、レオ?」  逃げ道を塞ぐようにすぐ前に立ち尽くす緋い姿。  見下ろす視線が、いつもの優しい笑みのかたちに細められる。 「長い付き合いだ。君が何を思っているか、おれにはすぐ分かる。どうせ王宮に乗りこもうなんて無茶なことを考えてるんだろ」  ヴィルターの手が伸びる。 「痛っ……」  服の上から傷口をわしづかまれ、レオンハルトは小さな叫びをあげた。  傷は完治に近い。  包帯だってとれた。  だが、白く引き攣れた傷口は、未だ痛覚を刺激するのだ。  毎日、傷を確認して消毒してくれるヴィルターがそれを知らぬわけがないのに。

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