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深淵に王を堕とせ(4)

「僕は許すと言ったよ。兄さんのことが好きだったから。手放さないためには、許すと言うしかなかったんだ。許すかわりに……僕が国王という責任を背負うかわりに、せめてそばにいてくれと頼んだんだ」  急な代替わりの混乱に乗じて、かつての王太子フレデリクを知る僅かな者は、理由をつけて遠ざけたという。  公会議議員も王の側近も、宮中の下働きの者すら入れ替えた。  そして数代前に絶えた下級貴族クラインの名を兄に名乗らせ、《公会議》の一員としてそばに仕えるよう頼んだのだという。 「本当は女をつれて遠くの街に行くつもりだったようだけど。兄さんも僕に負い目があったから、願いをきいてくれたよ」  都で広く知られた存在ではなかったとはいえ、王太子の存在を抹消するのは骨が折れたことだろう。  ルーカス王の代になって紋章まで廃止し、その記録まで廃棄している。  それは、王太子フレデリクの痕跡を確実に消し去ってやろうという弟王の努力なのだろう。  幸いというべきか公会議議員らを、伝統を重んじる貴族ではなく利に聡い商人らで固めたためか、紋章廃止に反対を唱える者もいなかった。  こうしてフレデリクは、王族には望むすべのない平穏な家庭を得たのだ。  ルーカスの独白は、レオンハルトから復讐の気概を削いでいく。  そういえば二年前の父の葬儀の際、じいやが言っていたっけ。  自分たちは旦那さまと奥さまが結婚して街外れに小さな屋敷を構えたときに雇われたのです。旦那さまはご自分のことは何も語ってくれず、親せきらしき人が訪ねてきたこともない。何かわけがあったのでしょうね──と。 「王宮のなかで兄さんのことを知っているのは、僕とジェローム・シュルツくらいだな。シュルツは、物静かな兄さんの唯一の友だちだったんだ」  さすがのルーカスも大貴族のシュルツを王宮から追い出すことはできなかったのだろう。  下級貴族で若造のレオンハルトをシュルツ家の当主が何かと気にかけてくれたのは、なるほど、先代の経緯を知っていたからか。 「にいさ……ん、ごめん……」  そこでルーカスは両手で顔を覆った。  レオンハルトの胸に額をつけてうなだれる。  あるいは今この瞬間、甥のことを死んだ兄だと思い込んでいるのだろうか。 「兄さんはすぐに僕のところへ戻ってきてくれると思ってたんだ。どこの馬の骨ともしれない町娘との、ままごとみたいな暮らしなんてすぐに飽きると」  だから王座は失ったとしても、せめて宮廷内に居場所があるようにと。いつでも戻ってこられるようにと公会議議員の座に留めておいてやったのに──ルーカスの声が徐々に低くなった。  窓の外は暗闇。  雨の音に支配されるなか時折、雷鳴が轟く。 「知ってるか、兄さん? 僕は街外れにある兄さんの家へこっそり様子を見に行ったんだ。窓から覗いたら、兄さんは女と笑いあってて。女の腕の中には赤ん坊がいて……」 「い、痛い……」  ルーカス王に腕をつかまれ、レオンハルトは呻いた。  よく手入れされた爪が、衣服を貫いて肌に喰いこむ。 「子どもができたなんて聞いてなかった。兄さんはもう僕の手の届かない存在になってしまったんだと思ったら、たまらなくなった」 「放せ、痛い……」 「なぁ、レオンハルト。おまえなら分かるだろう。やっかいな兄弟に振り回されて、自分の想いを踏みにじられるのがどれほど辛いか」  ギリギリと爪は尚も喰いこむ。  ルーカスの中で、兄への愛はゆっくりと憎しみに変わったのだ。

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