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深淵に王を堕とせ(5)
そうして、ささいな嫌がらせが始まった。
はじめのうちは無視をしたり、聞こえよがしに悪口を言ったり。
子どもじみた仕打ちを繰り返すも、フレデリクは耐えたそうだ。
弟にすべてを押しつけたという罪悪感もあったのだろう。
それが十年近く続いたという。
元々、神経の細かったフレデリクは徐々に病んでいった。
妻の死がそれに追い打ちをかけ、すっかり心を閉ざしてしまったのだ。
公会議の議場で血を吐いて死んだという顛末は、レオンハルトも知るところである。
「ごめんな、兄さん……」
ルーカスの手が不意に力を失った。
腕にはきっと血が滲んでいるだろう。
レオンハルトは、しかし自由になった手をさすることもせず、目の前でうなだれる王を見下ろしていた。
──俺は何をしに、こんなところまで来たんだっけ?
頭が回らない。
ルーカス王の告白に感情は乱れ、ただただ混乱していたのだ。
父がルーカス王の兄だったと?
愛なんて訳の分からないものを選んだあげく、父は死んだというのか?
「聞いてくれ、レオンハルト。兄の死後、公会議議員の職を罷免したのは、それが兄さんとの約束だったからだ」
「約束だと……」
「議員なんて高い身分だと、子らが争いに巻き込まれかねないと心配していたから。まして王族だったなんて知られては政争の種になってしまう。だから自分に万一のことがあったら、なるべく目立たないように葬ってくれと……」
「待て」
クラリと揺れる頭を、レオンハルトは手のひらで押さえた。
──信じていいのか? この男の言うことをすべて。
しかし、目の前の王は憑き物が落ちたように邪気のない表情をしているではないか。
そもそも自分はここへエドガーの復讐を果たしにきたのではないか。
それから無残に死んだ父の無念を晴らしたいと──。
思い出せ。衣服を血に染めて運ばれてきた父の姿を。
「俺はどうしたら……」
心は乱れるばかり。
喉の奥では親友の名を叫んでいた。
──ヴィル、助けてくれと。
こんなところへ一人で乗り込むんじゃなかった。ヴィルターが言ったように復讐なんて忘れてしまえば良かったんだ。
激しく頭を振ったときのこと。
ルーカスに腕を取られた。
引き寄せられ、抱きしめられる。
「あのときはすまなかった。愛する兄さんが僕の手に返ってきてくれたように感じて……」
「やめ、放せ……っ」
身体の奥が恐怖に震える。
あのときのことを思い出して身を強張らせるレオンハルトの黒髪を、しかし王の手は存外に優しく撫でたのだ。
「兄さんの代わりに、僕がおまえを守ってやる」
「そんなこと……」
いらないと身をよじるも、ルーカスの手は意外と力強い。
いや、抵抗できないのは自分が震えているせいだろうか。
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