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深淵に王を堕とせ(7)
今、誰かが踏み込んできたら自分は王の寝所を襲った襲撃犯として捕らえられるに違いない。
ふにゃり。
触れた唇を指でつついて、これはルーカス王の余裕の表れか。
「分かるよ。あの男、おまえとシンシアは政略結婚だと高を括っていたんだろう。それが存外に仲良くやっているように見えて焦ったんだ」
いいかげんなことを言うなと怒鳴りたい。
だが、今度は喉がつかえて声が出なかった。
己の言葉が効力を発揮していると自覚してか、王はやけにゆっくり口を開く。
とどめの一言だと言わんばかりに。
「シンシアとおまえの弟が逃げていると連絡をよこしたのは、あの男だぞ」
「なっ……」
──ヴィルターがそんなことをするはずがない。だって、ヴィルターは俺のことを一番に考えてくれる。恋人だと言ってくれたではないか。
否定の言葉ならいくらでも思い浮かぶ。
しかしレオンハルトの瞼の裏に蘇ったのは、征服欲に歪んだ親友の表情だ。
レオの弟が死んで、おれは喜んだ──彼はそう言った。
「違うっ!」
大きな声をあげれば人が来るかもしれない。
そう分かってはいたが、レオンハルトは声を振り絞った。
「違う、違う! ヴィルはそんなことしない!」
激しく首を振るのは、親友がみせた邪悪な表情を脳裏から追い払おうとしているからだ。
「ちが…違うんだ。だって、ヴィルは俺の味方で……」
震える唇を両手でおさえたときのこと。
レオンハルトは目を見張った。
眼前を、風が吹き抜けた気がしたから。
同時に前髪が数本、宙に舞う。
次の瞬間。
寝台の天蓋を支える柱に短刀が突き立った。
何が起こったか理解できぬまに、視界が回転する。
「ガッ……カハッ」
背中に衝撃。
息ができない。
同時に、体の自由を奪われた。
黒い影に見下ろされる。
「な、なんで…?」
背後から両肩をつかまれ、床に引き倒されたのだ。
すべては一瞬の出来事。
レオンハルトの腹の上に馬乗りになり、手刀を振りかざすのは頬傷の偉丈夫だ。
《王の影》の長である。
ダグという名は忘れもしない。
エドガーを殺した男だった。
「ぐあっ……」
塞がったはずの傷が裂かれるように傷む。
「薬が効かなかった……?」
いや、そんなはずはない。
その証拠にダグの瞼は小刻みに震えている。
レオンハルト自身の手で《王の影》控室の飲み物に薬をいれたのだ。
ダグも飲んだはずだ。
摂取量が少なく途中で目覚めてしまったか、あるいは精神力で耐えているのか。
薬は回っているはずだ。
おそらく必死に身体を起こし、這うようにしてやってきたのだろう。
すべては忠誠心のなせる技か。
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