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深淵に王を堕とせ(8)
「くそっ、放せ」
どちらにしろ、体格差を考えればレオンハルトなど敵ではあるまい。
圧し掛かられて首を押さえつけられ、ただ情けなく呻くしかない。
首を絞めにかかるダグの両手首を握りしめ、必死に引き離そうともがく。
黒い姿、その向こうに忌まわしい天蓋。
柱に突き刺さる短刀が視界を灼いた。
ダグが長剣でも持っていれば、自分の命は数秒前にあっさりと奪われていただろう。
国王の護衛部隊の長とはいえ、薬のせいで身体が言うことをきかず頭も回らなかったか。
短刀ひとつで乗り込んできたのはレオンハルトにとって、いわば幸運である。
「く……そっ」
柱に刺さる短刀に手を伸ばした。
このままでは首を絞められ、あえなく殺されてしまう。
体格に劣り、力もない自分が抵抗するにはあの短刀を手にするしかないのだ。
じたばた動かすしかなかった両足で床を踏みしめた。
のしかかられ身動きの取れない身体を懸命に横に倒す。
ダグの体重が浮いた瞬間、両足のバネを使って跳ね起きた。
勢いそのままに伸ばした手は、狙いあやまたず短刀の柄をつかむ。
レオンハルトが腕を振るうと同時に、窓の外を雷光が走った。
──プツッ。
手首に軽い手応え。短刀の切っ先が黒い布を切り裂く。
宙に舞ったのは数滴の血液だ。
黒ずくめの胸元に一筋、白い肌があらわになる。
皮膚の表面を裂いただけの傷に、わずかに赤い筋が滲んだ。
──クソッ、しくじった。
元よりの身体能力のなせる業だろう。
不十分な体勢ながら、ダグは瞬時に身をよじってレオンハルトの攻撃をかわしたのだ。
人を殺めたこともなければ、元より度胸もないレオンハルトなど敵ではないということか。
王直属の護衛部隊の長から見れば、苦労はしているとはいえ、しょせんレオンハルトなど貴族の坊ちゃんにすぎない。
細い手首をギリとつかめば、せっかくの武器もあえなく落としてしまう。
ダグの手は再び容赦のない力でレオンハルトの首を絞めあげた。
「くっ、たすけ……」
勝ち誇った表情すらみせず、それどころかダグは言葉すら一言も発しない。
そうか、これが本物の暗殺者なのだろう。
ならば自分は何なんだ──薄れゆく意識の中で、レオンハルトは自戒した。
王宮に入るのに武器を持っていては咎められると思って丸腰でやってきた。
愚かにもほどがある。
短剣を上着の下に隠しておけばよかったではないか。
それを使ってさっさとルーカス王を殺すべきだったんだ。
王とのお喋りなんかに気を取られ、それでこの様(ザマ)だ。
この期に及んで目的を見失ってしまったなんて。
──俺は復讐のためにここまで来たのに。
不意に、ヴィルターの言葉が蘇る。
──復讐というけど、レオ、君に何ができる?
「できる! 俺は……っ」
必死に手をのばす。
床に転がる短刀に指先がかかったその時。
「僕は退位するよ。レオンハルト」
ルーカスの静かな声。
声にならない音を漏らしてダグが呻く。
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