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深淵に王を堕とせ(9)
首を絞めあげる手が緩んだ隙をついて、レオンハルトは身体を押さえこむ黒ずくめの腹を蹴り飛ばした。
血走った眸が見据えるのは黒い布に覆われた喉だ。
跳ね起きて短刀をつかんで、右手を奴の首に振り下ろすんだ。
──それで、エドガーの復讐は終わ……。
しかし短刀の柄を握りしめた手は、大きな掌に包み込まれた。
「は、はな……せ」
あたたかい。
これはルーカスの手だ。
「レオンハルト、おまえに王位を返す。元は兄さんのものだったんだ。その息子であるおまえが正当な王だ」
「そ、そんなのいらない……」
かろうじて絞りだした拒否の言葉を、しかしルーカスは聞いてはいなかった。
レオンハルトの瑠璃色を見つめながらも、その視線はどこか遠くをさ迷っている。
「兄さん、いずれこうなると思ってたよ。僕には跡取りがいない。だって僕は女を抱けない……」
力を失ったレオンハルトの身体を、ルーカスが抱き寄せる。
「王位は渡す。シンシアも返す。もうおまえを傷つけたりしない。だから、レオンハルト……」
──だから、どうか。
震える声がこう続ける。
「どうかレオンハルト、兄さんみたいに僕を捨てたりしないでくれ」
「へ、陛下……」
強引に抱かれたなんて嘘のようだ。
縋りつくルーカスの腕は力を失い、徐々に崩れ落ちていく。
レオンハルトの胸に顔を埋め、かつての王は肩を震わせていた。
それを見下ろすレオンハルトの瑠璃の眸は激しく揺らぐ。
「……終わった、のか?」
元より命を奪う度胸なんてなかった。
王位を降りるという言葉をルーカスから引き出してホッとしているのは確かだ。
──これでエドガー、お前の無念は晴らせたよな?
父の想いは今となっては分からないが、少なくとも当初の目的は果たせたはずだ。
これで復讐は終わったのだろう。
なのに、目の前には相変わらず緋色の靄が立ち込める。
ああ、頭が燃えるようだ。
「ヴィル……」
あの冷たい手に触れてほしい──それは本心だ。
でも、あの男を信頼することはもうないような気もしていた。
心が揺らぐ。
今こそ会いたくてたまらない。
でももう会わないほうがいいのだろうか?
──なぁ、ヴィル。お前はあのとき、何を考えて俺を抱いたんだ?
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